« 北九州市門司区の大平山 門司のラーメン屋さんが小倉の街に | トップページ | クリスマス・イルミネーションとコストコ »

2004.11.23

ソ連・モスクワから列車でフィンランド・ヘルシンキへ  ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(10)

スポンサードリンク


train_syukusyou 1973年10月19日の朝。昨夜、モスクワを発った寝台列車の中。
昨夜は非常に寒い夜でした。どこの駅から出発したのかも思い出せません。

 ただ、出発前、駅の近くを一人で散歩していると、急に二人のロシア人の男性が車から「カイタイセイコ、カイタイセイコ」と話しかけてきました。最初は、何を言っているのかわかりませんでしたが、どうもセイコーの時計を買いたいらしいのでした。

 「ノー、ノー」と断りました。時計がなくなると困る意味のジェスチャーをしますと、何とロシアの時計を2個もとりだし、これでいいだろうとの雰囲気です。まあ、この国でこんな取引をしているところを見つかりますと、下手すると警察にでも引っぱられるかもしれないと思い、強引に振り切りました。

 そんなこともあったモスクワですが、これ以外は一般市民との触れあいもなく、添乗員が世話してくれて、泊まるところと食べるところに困らない旅は、土地の印象も薄くなってしまいます。

 モスクワを出発し、夜が明ける頃にはレニングラード(現ペテレスブルグ)を通り過ぎたものと思われました。ここには世界的に有名なエルミタージュ博物館があるのですが、当時はそんな認識もありませんでした。

 フィンランドとの国境が近づくにつれて、何故かソ連の官憲達がやってきて、荷物の検査を始めました。おそらく、禁制品の持ち出しや麻薬などの検査だったと思いますが、スーツケースを開けさせて調べましたが簡単でした。

 何事もなかったので、くつろいでいると、いきなりさっきの官憲達が再び登場して、今度は徹底的に調べはじめました。ベッドの下からコンパートメントの隅々まであきれるほど徹底的に調べました。それでも、ツアーの一行からは何も発見できず、引き上げていきました。
 
 考えるに、一度検査が終わり、安心して禁制品をスーツケース等に入れるタイミングを見計らってやってきたのではないのかなと皆と話しました。何とも、共産主義国らしい体験でした。

 途中、ヴィヴォルグという駅で、朝食と思いパンとミルクを買いました。ロシア語がさっぱりわかりませんので、パンとミルクを手に取り、ロシアの小銭を差し出すと、適当に取ってくれました。

      続きがあります。下の「続きを読む」をクリックしてください。

russia_train_scene_syukusyou ヴィボルグを出発すると、そこは国境地帯で線路の近くは鉄条網があり、自動小銃を持った兵隊が目に付きだしました。国際特急なので、乗り換えも無しに国境を越え、フィンランドの税関や入管の職員が乗り込んできました。

 ここで、愕然としたのは、国境を越えたとたん沿線の風景が激変したことでした。ロシア側の沿線は、いけどもいけども暗いみすぼらしい家々の並ぶ風景でした。しかし、わずか数百メートルの国境を越えたとたん、北欧の色彩豊かな明るい家々が並んでいるのです。狭い国境は、自由主義と共産主義の違いを如実に分けていたのでした。2枚の写真は、それほどの差が見えませんが、ロシア沿線風景とフィンランドの沿線風景です。

train_helsinki_syukusyou これは、本当にショックな体験でした。国境を見たこともない私達。そして、その国境を越えるだけで、これほど違う二つの世界が存在している現実。これは、現在でも韓国と北朝鮮を分けている38度線を越えると同じようなことです。

 そうしている内に、フィンランドの首都、ヘルシンキに列車は到着しました。気温は丁度零度でした。がちがちに駅の路面は凍っていました。

 列車がヘルシンキに着くと、私達のツアーも解散でした。20人くらいのツアーも、互いに元気でねと挨拶して別れ別れになりました。といっても、5人くらいが不安そうな目でお互いに見つめ合っていました。、今日どこへ行く当てもない人達が駅に残ってしまったのでした。私もその内の一人でした。今まで、世話してくれた添乗員もいませんし、この寒空に今夜どこに泊まるかの当てもないのです。

 この5人は、見事なくらい誰もヘルシンキのことを知りませんでした。幸い、誰かがこんな時は、駅のインフォメーションセンターに行くと宿を世話してくれると本で読んだと言いました。こんな旅の第一歩もこの人以外誰も知らなかったのです。

 それで、5人でインフォメーションセンターを探すと、運良くすぐ見つかりました。誰かが、「ホテル、ホテル、チープ、チープ」と言うと、係りの人が早速地図を出し、ホテルの位置を鉛筆でマークしてくれました。

 中央駅を出て10分くらい歩くと、教えられたホテルが見つかりました。ホテルの経営者は50歳くらいのおばさんで、英語がわからない。宿代の確認をするために、筆談がはじまりました。私は、じっと見ているだけでした。

 やっと、部屋が決まり、夕食は近くのスーパーでパンとミルクを買いました。不安な夜がはじまりました。

スポンサーリンク

|

« 北九州市門司区の大平山 門司のラーメン屋さんが小倉の街に | トップページ | クリスマス・イルミネーションとコストコ »

08 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52841/2036020

この記事へのトラックバック一覧です: ソ連・モスクワから列車でフィンランド・ヘルシンキへ  ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(10):

« 北九州市門司区の大平山 門司のラーメン屋さんが小倉の街に | トップページ | クリスマス・イルミネーションとコストコ »