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2005.01.04

正月といえば寅んさでしたね。

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 正月になると寅さんでしたね。それくらい、私にとって「男はつらいよ」シリーズの封切りを見に行くことは、盆と正月の恒例行事でした。

 思いおこせば、寅さんと私の最初の出会いはテレビでした。映画での第1作目「男はつらいよ」は、1969年(昭和44年)でした。私が大学に入学する頃のことです。しかし、その1年ぐらい前に、寅さんはテレビドラマ「男はつらいよ」のタイトルで放映されていました。系列はフジテレビ、福岡ではTNCでした。当時は、我が家にはカラーテレビはなく、白黒テレビで見ていました。

 寅さんの設定は、映画と同様、フーテン暮らしのテキ屋稼業です。もちろん妹のさくら(正確には櫻)さん、博さん、団子屋のおいちゃん、おばちゃんもいました。しかしさくらさんは長山藍子、博さんは井川比佐志、おばちゃんは杉山とく子といずれも映画のキャストとは異なっていました。おいちゃんだけは森川信で、この配役は映画にも引き継がれました。

 第5作の「男はつらいよ望郷編」で、長山藍子がマドンナ、井川比佐志がその恋人、杉山とく子がマドンナの母親役でそろって出演していたのは、テレビの寅さんを見ていた人だけがわかる面白いキャストだったのです。
 
 このドラマは、大変面白かったのですが、寅さんは奄美大島でハブに噛まれて死んでしまい終わってしまいました。最近、CSスカパーの721フジのチャンネルで、このテレビドラマの第1作と、最終作が放映されました。この映像は残されていないと思っていましたので、非常にビックリしたと同時に自分の記憶を確かめるのに役立ちました。

 そして、しばらくして1969年に映画の第1作「男はつらいよ」がはじまったのです。私は、ドラマでの好印象もあり、早速封切りを観に行きました。はまりました。喜劇なので、はめを外して笑うところあり、さくらさんと博さんの結婚にまつわるほろりとさせるところあり、義理と人情ありでこれほど面白い日本映画はないと思いました。

 当たりに当たった寅さんは、1~3ヶ月毎に「続男はつらいよ」、「フーテンの寅」と立て続けに封切られ、私は全て封切り日の1週間以内に観た記憶があります。

 その内、寅さんは、盆と正月に封切られるようになり、私の盆と正月の恒例行事となりました。盆、正月といえばまさに寅さんでしたね。

 初期の頃の寅さんファンは面白いもので、映画がはじまり、寅さんがスクリーンに登場すると、「わー」と言う大歓声が起こり、そして怒濤の拍手が館内に響き渡っていました。それほどの映画だったのです。昔の子供の頃の映画ですと、時代劇の最後の方に悪役の屋敷の方に、善玉役の町役人や捕り方が駆けつけるシーンでよく拍手が起きていましたが、現代劇で拍手が起きたのはこの映画だけでした。

 その後、48作まで封切りを観、ビデを何回も観て、寅さんに関する本を購入し、旅行をすればここは寅さんが来た所だなと思い映画での場面を思い出すようになりました。

 もちろん、寅さんの故郷、葛飾柴又も過去2度ほど訪れました。そして、寅さんがどこか遠くに旅立ったことから、3度目の柴又となりました。

 これから、寅さんの記事を何回か書くことになりますが、これは2年ほど前に、葛飾柴又を訪れた時の事がベースですので、ご理解のほどよろしくお願いします。

 「夏になると鳴きながらいつも帰ってくるあの燕(つばくろ)さえも、何かをさかいにパッタリと姿をみせなくなることもあるんだぜ・・・・」

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