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2005.02.20

マドリッドのユースホステルと番長 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(19)

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madrid_youthhostel_dog01_syukusyou 前回、スチューデントホテルの無銭宿泊騒動記を書きました。その中で、マドリッドのユースの事に触れましたので今日は、スペイン・マドリッドのユースホステルのお話です。

 旅行記が、今までは出発から日を追って順序よく書いてきましたが、前回から数ヶ月飛んでしまいます。73年10月頃にロンドンに着きましたが、ロンドンに4ヶ月ほど英語の勉強をしながら滞在し、74年の3月初めロンドンを発ち、1ヶ月間ヨーロッパを旅行しました。その間の体験です。

 1974年3月12日(火) スペイン・マドリッド

 マドリッドのユースホステルは公園の中

 3月1日(火)にパリからマドリッドに入り、それからアランフェス、トレド、セゴビア、グラナダを周り、マドリッドに帰ってきました。今夜は、マドリッドのユースホステルに泊まります。

 madrid_youthhostel_dog02_syukusyou 当時のマドリッドのユースホステルは、地下鉄の駅「EL LARGO」の近くにあり、「カサ・デカンポ公園」の中にあったと思います。公園の中をとぼとぼ歩いていくと、ユースに着きました。中庭に面して平屋の棟が2つほど建っていました。中庭には、フォルクスワーゲンのいわゆるワーゲンバスが駐車していて、そのボディに日の丸、TOKYOの地名や世界各地の地名が書いてありました 

 ユースの中の番長ルーム

 建物の入り口を入っていくと、日の丸の旗が見えました。これが、ある部屋の「のれん」でした。この日の丸には、日本語の色んな寄せ書きが書いてありました。こののれんをわけて入るとそこが、有名な「番長ルーム」でした。ユースの宿泊棟の大部屋の中をカーテンや本棚、タンス等で区切って、個室状態にしており、その周りにずらっとベッドが並んでいました。

 madrid_youthhostel_dog_and_me_syukusyou 番長ルームの中は以外と狭く、入ると左側に2段ベッド、右側に2段ベッドがあり、左側には本棚がありました。この本棚には、日本語の本がガイドブック、文庫本、雑誌、マンガなどたくさんありました。このユースを訪れた日本人達が、残してくれたものです。この番長ルームは、とてもとても汚い部屋でした。

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 番長ルームには、一人の男がいました。25歳くらい、チェックのグレイのよれよれのブレザー、ひげ面の目玉のギョロッとした顔の男に、「本を読んでもいいですか」と聞くと、「適当に読んでください」との返事。後で分かりましたが、この人は副番長さんでした。

 番長ルームとは、マドリッドのユースを取り仕切っている日本人宿泊者の本部でした。番長ルームには、番長、福番長、通訳そして係りの人達がいました。番長は、原則として、このユースに一番長く滞在している人がなり、番長は旅立つときには、次の番長を決めて出ていくルールだそうです。初代から数えて、もう50代目くらいの番長だったそうでした。

 この番長を決める時には、面白い習慣があり、次の番長に指名されたらテストがあります。カサ・デ・カンポ公園の中には、当時恐いことで有名なジェットコースターがあり、新番長候補者は、前番長や役員立ち会いのもとに、このジェットコースターに乗り、その恐怖に耐えなければ新番長となることはできません。

 めでたくこのテストに合格すると、その晩は新番長就任を祝して「ヴィノ・パーティ」が開かれます。ヴィノとはスペイン語でワインを意味しており、このパーティのワイン代のために、或いは生活費のために番長は率先して商売に出かけます。日本製品は人気があるので、がらくたをかき集めて、マドリッドのノミの市で法外な値段で売りつけることが多いそうです。

 副番長は、適当な人物がなるのですが、大体番長の旅仲間が多いそうです。通訳とは、ここの管理人のゴメスと番長の交渉やその他の個別のトラブル時に通訳となる人です。片言のスペイン語でもなんとかなるそうです。もう一人、係りの人がいましたが、この人の役割は聞き漏らしました。この4人が、番長ルームで寝起きしていました。それぞれのベッドの位置も伝統的に決まっていました。

 代々の番長は、「番長日記」というノートに色んな出来事を書いていました。これは、後任の番長のためだそうです。ユースの宿泊者は、勝手に自由に見ることができました。私も番長日記を見てみましたが、内容は愛すべき管理人ゴメスと番長達の闘争記録でした。

 ゴメスは、抜き打ち的にタダ泊まりや毛布の検査に来ます。「カルタ!カルタ!」と叫びながら、一人一人調べます。カルタとは、宿泊者カードのことです。時には、タダ泊まりが発覚してもめますが、この時が番長、通訳以下の役員の出番です。ゴメスと交渉し、仲裁に入ります。その状況に応じて値切り、時には、退去を条件にタダにすることもあるそうです。この辺が、前に書いたロンドンのスチューデントホテルとは異なります。

 当時、マドリッドのユースと番長は有名になっており、日本の有力新聞でも、この事を記事にしていたそうです。ただ、記事は、ユースの住人の無気力ぶりやだらしなさを痛烈に批判していたそうです。

 まあ、私の印象としては、そう目くじらを立てるほどのことでもないと思いました。確かに、ユースの人から「一日一仕事の原則」というのを聞いたことがありました。それは、一日何か一仕事、例えば小包を出す、日記の整理、ビザの申請などをすると、後は昼寝をして過ごすというものでした。金もなく、行くところもないのですから無理もないところでしょう。ただ、このユースのコミュニティには、親切と思いやりがあったのは事実です。

 世界一の駄犬と一緒

 なお、私と一緒に映っている犬は、マドリッドのユースに住みついていた犬で、無気力でだらしないユースの住人から「世界一の駄犬」と言われていました。とにかく、写真のスタイル以外は、見たことが無く「一日一仕事」も問題以前の犬でした。

 By Jun

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