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2005.03.15

マドリッド ユースとフラメンコ見物の騒動 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(21)

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 1974年3月12日(火) スペイン・マドリッド

マドリッドのユースの2代目番長で「お前も来るか!中近東」の作者、「goh」さんからコメントがありました。
 前回の記事で、「お前も来るか!中近東」の本のことを書きましたら、なんとこの本の執筆グループの中心的な世話役をされた「goh」さんから、コメントをいただきました。そして驚いたことに、この方はマドリッドの2代目番長をされていたとのことです。現在は、トラベルライターをされており、「旅好堂」というホームページを運営されていらっしゃいます。大変面白いサイトですので、よろしかったら是非アクセスしてみてください。また、初代番長は、四日市出身の東條さんという方だとの貴重な情報もいただきました。本当にありがとうございました。

タブラオは、フラメンコのライブスポット

 さて、スペインのマドリッドの滞在記です。
 奇蹟の家で、兎の肉のトマト煮込み料理を食べた後、ユースに戻りました。ユースの最後の夜は、フラメンコでも見物しようと思いました。フラメンコの店は、ユースの連中推薦のマイヨール広場付近のタブラオ。

 タブラオとは、フラメンコのライブハウスのこと。小さな舞台があり、周りに観客席があり、目の前で臨場感いっぱいのショーが繰り広げられます。

 一人で行くよりも、何人かで行く方が心強いので、フラメンコに行きませんかと誘いましたが、誰も行こうとしません。仕方がないので、一人で行こうと門の方に向かっていくと、後から一人追いかけてきて、「僕も一緒に行きます。」

ユースの入り口は窓

 出かける前に、番長からのアドバイスがありました。
(番長) 「フラメンコから帰ってくると、普通真夜中の1時か、2時くらいになるから宿舎棟は施錠されています。窓から入ってください。」
(私) 「この窓は相当高いですが、泥棒と間違えられませんか?」
(番長) 「大丈夫です。みんなその窓から入っています。(笑い)」

マイヨール広場のタブラオで

 マイヨール広場付近は下町の雰囲気で町並みで情趣に富んでいました。お目当てのタブラオは、すぐに見つかりました。料金を払い、コートなどを預けて、案内人に導かれて席に座りました。料金の中には、一杯のドリンクも入っており、ビールを頼みました。

 11時半頃から、いきなり何の挨拶も司会もなく、踊り子やギター奏者、歌手が出てきてフラメンコがはじまりました。6人くらいダンサーが、代わりがわりに踊る、踊る、踊る。タップが強烈に床を響かせていました。

 ダンサーの後は、ギターソロでした。フラメンコの曲かと思いましたが、これが以外にもクラシックの曲。大変上手でしたが、客の中に黒人の男女のグループがいて、演奏中だろうがかまわずにキャーキャー騒いでいました。これには、ギター奏者も気分を害していたようでした。

 次に、歌手の独唱があり、最後に男女一組のダンサーによる踊りがありましたが、最後のトリでもあり、なかなか見応えのある演技でした。

ユースまでの帰りは歩き

 この時点で、午前1時30分だったので帰ることにしました。こんなに遅い時間では、地下鉄はないのでタクシーをつかまえようとしましたが、スペイン広場でもダメでした。それで、歩こうと言うことになり歩き出しました。途中、道路掃除の人に道を聞いたりしました。そして、やっとカサ・デ・カンポ公園の入り口まで来ました。警官が二人いましたのでユースの方角を尋ねると、向こう側にあるらしいことが分かりました。

 公園の中を横切っていきましたが、灯火も全くなくかなり気味悪い夜道を二人で世間話をしながら歩いていきました。20分も歩くと、見慣れた並木道が現れました。エル・ラーゴの駅からユースに通ずるあの並木道でした。

ユースに入るための一騒動

 やっとの思いで、ユースにたどり着きました。番長が言っていたとおり、玄関のドアは施錠されていました。教えられたとおり、ドアの右上の窓から入ることにしました。しかし、この窓は相当高いところにあり、まずよじ登らなければなりませんでした。連れの相棒は、こう言うことは得意ではないので、私が先に登って開けてくださいとのこと。

 私もこんな事は得意ではないのですが、先に言われてしまったので、意を決してよじ登りました。苦労して、窓までよじ登り、窓を開けて廊下に飛び降りました。

 次は、相棒の番ですが、想像以上に私より鈍くさく、なかなかよじ登れません。何だか、もう私はダメですと弱音まで吐く始末。「じゃ、外で寝ますか」と言うと、そんなことは言わないでくださいよと渋々よじ登り、上の方では私が手を貸して、やっとこさ窓を越えました。

 ところが、廊下に飛び降りるときがまた、この人が、バランスでも崩したのか「ウワー」と奇声を発しながら、鈍くさく飛び降りたので、奇声と地響きで相当大きな音が鳴り渡りました。思わず、二人で顔を見合わせましたが、こんな音がしても誰も起きてくる気配がありません。これくらいの騒動は、このユースでは日常茶飯事なのでしょう。マドリのユースのすごさは、この一件でもお分かりいただけると思います。

 疲れてもいたので、そのまま服を着たままベッドにもぐりこみました。ここのベッドでは、あまりに汚くて、寝間着に着替えるよりも、ジーンズにカッターのままの方が気持ちよさそうなのでした。

 By Jun

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