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2005.03.05

マドリッド番長について ユースホステルの夕食と「お前も来るか中近東」 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(20)

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madrid_youthhostel_dog_and_me_syukusyou 1974年3月12日 スペイン・マドリッド

黒色コートのあれこれ

 前回の記事に掲載した写真ですが、黒色のコートを着ていました。この黒色のいわゆるステンカラーコートは、1970年代に流行したもので、それも黒色でした。現在の、バーバリーコートを真っ黒にしたようなものでした。

 私は、寒い季節でもあり、この黒色のコート着て旅行をしていました。ただ、スイスアルプスのユングフラウに登ったときは、登山列車の中はほとんどの人がカラフルなスキーウェアでしたので、黒いコートでリュックを背負った私は、肩身の狭い思いをしました。

 また、ギリシアのアテネにたどり着いた時は、陽気も良くなったので、もう着ることもあるまいと道ばたのゴミ箱に、この黒いコートを捨てました。すると、翌日、その黒いコートを着て歩いている人に路上で出くわしました。もちろん、着ていた人は気付きませんでしたが、私はビックリするとともに思わず笑ってしまいました。

 さて、スペイン・マドリッドのユースホステル滞在記の続きです。

ユースホステルの人達と楽しい夕食

 夕方になると、「夕食に行く人は集まってください。」との声がかかります。このユースホステルでは、施設内でも夕食がとれますが、ほとんど利用する人はなかったようです。自炊する人も、多くいました。ヨーロッパのホステルで、宿舎内で勝手に自炊できるところは、ここだけだとの話も聞きました。

 ユースの連中がよくいく食堂は、私の知る限り、主なものは3つでした。「森の家」、「奇蹟の家」そして「世界一安いレストラン」です。前2つの名称は、現地名の訳そのままでしたが、最後の「世界一安いレストラン」は、日本人が勝手に付けた名称でした。

 10人前後の人達と一緒に出かけました。途中、鉄道の線路を横切ります。踏切などないところです。ちょうど、列車が通りかかると、肝試しと称して、列車の直前を横切ったりするそうです。何回もやると、警察が見回りに来たりするそうですが、その時は場所を変えると言っていました。

 うらぶれた路地の奥に「奇蹟の家」がありました。まだ、開店時間の前のようで、店先で店員達がトランプなどをしています。客は、勝手に入って、水などを飲んだりして開店を待ちます。店の人達は、客がいようがいまいが、大騒ぎでカードに熱中し、客は客で、横からそれじゃだめだと言う風に口を入れたりして楽しんでいます。

 開店時間になると、さっとカードをやめて、着替えながら客から注文を取ります。メニューは、ユースの日本人客が多いせいか、日本語のメニューがあります。これは、ユースの日本人が作ったもので、日本人の口にあい、量が多く安いものが、おすすめマークで分かるようにしてありました。日本語も、かなり通じ、「ご飯」と言えば、ライスがでてきます。

 そして、安いのです。スープ、おかずなどが一皿30円くらいで、大体夕食が200円もあれば、大満足になります。
客層も、ユースの日本人の他、スペイン人の労働者などが多いようでした。奇蹟の家は、本当に奇跡的に安かったのですが、ユースの古い日本人の話から、これでも最近2倍に値上げしたと聞いてさらにビックリしました。

アジアを旅する人のバイブル「お前も来るか中近東」

 夕食を終えて、ユースに帰り、時間つぶしに番長ルームの本や落書き帳を読みました。当時、インドから中近東を通って、トルコのイスタンブールをバスや車で旅行することが流行でした。もちろん、ツアーなどありません。これらの人達のバイブルに「お前も来るか中近東」という本がありました。なんでも、「マルコポーロ旅行団」というふざけた名前の著者でした。この本は、本当に貧乏旅行者には有名で、イスタンブールよりもアジア側に行くのなら、絶対手に入れた方がいいですよとよく言われました。しかし、探しましたが、あいにく番長ルームにこの本はありませんでした。

 落書き帳を見ていましたら、だんだん感慨深いものを感じました。ここのユースホステルの人達の中には、ヨーロッパを放浪し、住みやすいマドリッドのユースを一時の安らぎとしていました。夏になると、ペイの良い北欧で皿洗いなどをして金を稼ぎ、冬になるとスペインなど暖かいところに南下して時を過ごし、また夏になると北欧に戻る人達がいました。

インターネットの威力

 ここまで、書いて念のためにと思い、インターネットで検索をかけたら、ビックリすることに、マドリッドの番長の初代の方「お前も来るか中近東」の著者がそれぞれ自分であると記事を書いていました。本当に、インターネットの威力とはすごいものですね。まさか、これらの人々との接点があるとは思いもよりませんでした。特に、「お前も来るか中近東」の作者の森本剛史氏は、奇しくも、ナホトカとハバロフスク間は列車、ハバロフスクとモスクワ間は飛行機、モスクワとヘルシンキ間は列車で私と同じ旅行経路です。

(参考)
マドリッドの番長ルームについての記事
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sawa/hitorigoto200208.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/k.katagiri/novel_text_1/p1_c08/p1_c08.htm

「お前も来るか中近東」関連記事
http://members.jcom.home.ne.jp/k.katagiri/novel_text_1/p1_c06/p1_c06.htm

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08 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記 」カテゴリの記事

コメント

Jun様
happy01 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

早速のご配慮に感激!感謝申し上げます!

この上は、千客万来の公開ブログでありますように・・

Donquiyo・・また、時折ご訪問させていただきます4649どじょポチ♪heart01

投稿: Donquiyo | 2014.09.17 21:01

Donquiyoさん、今晩は。Junです。

ご提案の通り、3月12日の記事タイトルに「マドリッド番長について」と言う文言を挿入しました。

より多くの関係者が見てくれるといいですね。

投稿: Jun | 2014.09.17 20:19

Jun様
返信遅れました。そして、
投稿: Jun | 2014.09.15 13:34記事を拝見しました。

coldsweats02誤解を招き恐縮に存じて、ここに、お詫び追記させていただきます。
小生の差出がましいお願いは、貴・ブログタイトルの
ブログJun's my Tasteの変更要望ではありません。

Web上検索の時「マドリッド番長」のみの語句検索で、
【唯一無二のマドリッド番長の歴任記事が集積されている】
あなた様の当記事スレッドの既存書庫タイトル;
「1974年3月12日 スペイン・マドリッド」を

例:マドリッド番長体験「1974年3月12日 スペイン・マドリッド」
に、
【マドリッド番長へ連絡】などの枕言語を
集約語句表記に追加して置いて、いただけると、
各社のブログ間利用規定機能の狭間にあっても、今後において、
全Web検索用cookie機能により、
既投稿者あるいは、懐かしの体験者同士の皆さんが
再び、Web検索を利用される時に・・

(この際、小生の当該記事スレッド探索・到達の難局体験を踏まえ、)
音信不通の皆さんが、
検索欄に、共通語である【マドリッド番長】の語句打刻・インプットのみで、
貴ブログJun's my Tasteの中の当該記事(案)
★マドリッド番長体験「1974年3月12日 スペイン・マドリッド」
を容易に発見し、到達し易くなる?
のではと、思った次第です。

そして、既存する貴・当該投稿記事が「核」となって発展展開して行きます。
ここに、不躾な提言の取捨選択のご裁定に際しまして、誤解なきよう、
あしからずご理解を賜りますようお願い申し上げます。
AbcEfdG(恵比寿絵筆爺)ことDonquiyo拝。


投稿: Donquiyo | 2014.09.16 19:29

Donquiyoさん、今日は、Junです。

折角のお申し出ですが、当ブログJun's my Tasteは、福岡・宗像市地域の情報ブログとしてまた、私の趣味の紹介を柱として運営しております。

毎日、数百人以上の多くの読者の方が閲覧していただいており、当然、グルメ、イベント、DIYなどの情報を求めていらっしゃいます。

マドリの番長のサイトタイトルにすることは、これらの読者の求める情報との乖離が大きくなりますので、なじまないと思います。

70年代英国ヨーロッパ旅行記は、私の旅行記録として、遊び心で掲載しており、サイトの目的からは少しずれているものです。

以上ご賢察の上、よろしくお願いします。

投稿: Jun | 2014.09.15 13:34

Jun様
投稿: Jun | 2014.09.14 08:48
の寄稿記事を拝読しました。

唐突ですが・・マドリー番長制度の実態について:
いっそ、貴ブログのスレッドタイトルを、Web検索されるより多くの皆さんの目に留まるべく、そしてWeb検索されるように変更されては如何でしょうか?
例えば【マドリッド番長会・仮連絡事務所】と、変更されては頂けないでしょうか?

また、実存するマドリッド番長会のメンバーに、
皆が容易にアクセス出来る算段に、
当ブログ・スレッドが中心核になって貢献され、そのPRに努め、
より多くのスペイン・マドリードの貧乏・耐乏体験旅行者仲間の
現・ブログ所在居場所への探索用案内指標になることを希望します。

一度、ご検討してみて下さい。

そして、皆さんが持ち寄る古の爆笑体験談で、
談笑し合って盛り上がろうではありませんか!
この機会に、是非にご検討賜れば幸甚の限りで御座います。

ご参考URL; http://blogs.yahoo.co.jp/donquiyo
AbcEfdG(恵比寿絵筆爺)ことDonquiyo拝。

投稿: Donquiyo | 2014.09.14 21:49

Donquiyoさん、お早うございます。Junです。

マドリの番長の情報ありがとうございます。

http://hirobonjapan.blogspot.jp/2011/02/blog-post_06.htmlにもアクセスしました。

しかし、皆さんよく覚えておいでですね。

私は、マドリのユースの滞在が短かったせいか、建物やゴメス氏の事はほとんど記憶にありません。

私も、機会があればマドリのユースを訪れてみたいなと思いました。

投稿: Jun | 2014.09.14 08:48

Jun様
早速に、小生Yahoo!ブログ上にもご返信を賜り、感謝感激です。
http://blogs.yahoo.co.jp/donquiyo/MYBLOG/guest.html
(折り返しで、今一度ご高覧を賜れば幸いです。)
こちらにも回答投稿をさせて頂きましたが、
「gohさんの掲示板」は、今でもアクセス可能ですが、
目下、新規投稿・質疑応答は、開店休業の様子です。

この間に、「hirobon」さんのブログ上に、返答がありましたので、ご案内申し上げます。
http://hirobonjapan.blogspot.jp/2011/02/blog-post_06.html


尚、申し述べ遅れましたが・・
2009.04.09ご投稿のCOCO,浅場さんのブログも、目下、開店休業中でした。
彼女曰くの「泥棒とパトカー呼びつけ事件」は、我々の世代の顛末記なのでは?

当時、ユース内で、頻繁に置引き窃盗犯の被害が多発してました。
カツラで偽装侵入していた50歳くらいのスペイン人男性の常習犯行でした。
それを見破ったのはドイツ人のシュルツ君でした。
深夜の出来事でもあり、オートバイ旅行をしていた買出し番長に呼ぶ指示をしたのは、裏番長の小生でした。

ところが、パトカーが到着して、結果は、皆の身なり恰好の風情から「麻薬取締り」を名目に、我々宿泊者に対して市警察からピストルを突きつけられました。

やがて、その常習犯人を市警察に引き渡したのですが、翌日の街中で釈放されたその男を見掛けて、追い駆け回した勇猛果敢な日本人もいました。

ピストルをお凸に突きつけられたのは、初体験でした。
その数年後、荒れ狂うNYCで、シティポリスの裸拳銃を見ても、恐ろしくはありませんでしたよっ!
思い出話ぼろぼろの・・Donquiyoでした。

投稿: Donquiyo | 2014.09.13 12:44

Donquiyoさん、お早うございます。Junです。

私も、ソ連経由ヘルシンキからロンドンに空路で行きました。

Donquiyoさんは、マドリッドから色々海外体験を重ねられたようですね。

当サイトのこの記事は、当時のマドリのユースに滞在した方たちがよくご覧になっており、ある意味掲示板の用になっているのは嬉しい事です。

今後もよろしくお願いします

投稿: Jun | 2014.09.13 09:16

はじめまして!Junさん
皆さんの記事を拝読してその感慨に浸っております。

当時、ソ連経由ヘルシンキからヒッチハイク、ロンドンで持金が底を尽き、
新聞広告で片言英語でもカラーテレビ修理技術者のイキスパートとして採用されました。
小生は、1972年2~3月にマドリー第23代番長を務めたKiyoです。

2009.04.09ご投稿のCOCO,浅場さんは、ひょっとして同期の桜では?
第22代Jazzギターの山田さん
その副番長テナーサックス練習生の”さくばん”さん?

当時の先代から引き継いだ小生は、
蚤の市では、
日曜日ごと25ptsの清掃協力金を支払って、新参者が携行して不要になった新品下着類や免税タバコなど、
退出者が残していった品々を貯め置き、出店商品群にし、常連客が購入してくれていました、
売上金は、その晩の大鍋囲み・呑ちゃん騒ぎ宴会の軍資金になりました。
宴会後、ビノやコーラの空瓶を空手ショーで割って処分したのは髭面のアラビッチ君の役目でした。
彼は、サウジアラビアで空手指導をして旅費を稼いだそうです。

そして、毎月曜日
当時、フランコ総統の信望者であったゴメス所長や片目のオンブレが無賃宿泊者の点呼にやってくると、
免税タバコや番長室蔵書の北欧ポルノを渡して、なだめたりもしました。

想い出の数々が・・今も蘇ってきます。
小生にとっても、人生忘れえぬ体験をした思い出の地です。

そして、新参者からは、JALの団体ツアーの帰路便の空席の破格搭乗券(2万円)の入手情報を得て、ロンドンから帰国しました。
当時JALのCA達はマドリー番長の存在を聞き伝えで知っており、機内では、小生は、まるで時のヒーローの様に質問攻めに合いました。

その後、1973年米国に渡り、(1975年当時の話ですが)
NYCの43丁目のラーメン屋「らんたん蘭箪」のアルバイト店員もカサデカンポに滞在しており、
当時の番長は第111代が務めていて、施設改装がなされていたそうです。

話題「マドリー番長」は、世界が繋がりますねぇ~

皆さん【マドリード番長会の連絡先】の詳報についてご存知ですか?
皆さんと、異時体験談義をしたいと思う所存です。

閲覧者にして、あいにくPC操作に疎く、
当該記事の既投稿者の所在や、その後の追跡ができません。
つきましては、お願いがあります。
Junさん【マドリード番長会の連絡先】のその後の詳報について、
下記URLまでご案内ご連絡賜れば幸甚の限りです。
http://blogs.yahoo.co.jp/donquiyo/MYBLOG/guest.html

AbcEfdG(恵比寿絵筆爺)ことDonquiyo拝。

投稿: Donquiyo | 2014.09.12 11:44

堀内さん、お早うございます。Junです。
ブログ拝見しました。
3年ほど後に私もシベリア鉄道経由でヨーロッパ両行しましたが、グラナダなど重なる地点が多くありますね。
私は、ヨーロッパだけでしたが、アフリカ、中近東インド等と良い旅をされましたね。
スペイン留学でマドリのカサデカンポに寄られるとのこと。
私も、もう一度行ってみたい場所の一つです。
今後もよろしくお願いします。

投稿: Jun | 2011.01.17 06:45

近々(2011.2.3)、3週間の短期スペインに語学留学のため出発するに当たり、昔MADRIDのユースで過ごした日々を懐かしく思い、「カサデカンポ」をネットで探したところこのページを見つけてしまいました。

私が行ったのは、1971年の夏、第?代の番長です。「赤シャツ」と呼ばれていました。番長会なるものがあることは、今はじめて知りました。

今回の留学予定地はSEVILLAですが、まずMADRIDに入りますので、時間を見つけてカサデカンポに行ってみたいと思っています。


投稿: 堀内 宏志 | 2011.01.16 23:37

COCO.浅場さん、今晩は。Junです。
はじめまして。
カサデカンポのマドリッド・ユースホステルは懐かしいですね。
マドリのユースに泊まって、旅行をしていく。このようなスタイルの旅は、もうできませんね。
裕福になり、便利になるのも考えものです。
大事なものを失っているのかもしれませんね。
これからもよろしくお願いします。

投稿: Jun | 2009.04.09 19:32

始めまして、私もカサデカンポにいました!
森の家、奇跡の家 ギター弾いていた山田さん
確かテナーサックスの”さくばん”
泥棒捕まえパトカー来たり
蚤の市で露天したり
私はパスポート、財布、帰りのチケット盗まれたり
若いだけに御金はつっましく、無かったけど
本当人生の大きなひとこまでした
アド入れませんがブログ
とほほのCOCO
でよかったらREくださーい
昔は女番長だった。。。。。。鴨
浅場京子
書込みしてると23!

投稿: COCO,浅場 | 2009.04.09 13:48

金杉さん、お早うございます。Junです。
コメントをいただいてから時間が経ってしまいました。すみません。
横浜から、ヨーロッパを経てヒマラヤ・ネパールの旅。すごかったですね。このルートでは、トルコのイスタンブールに情報交換場所の喫茶店が在ったという話を聞いたことがあります。
この情報も、「お前も来るか中近東」に載っていたのかも知れませんね。
私は、「お前も来るか中近東」を実際に見たこともありませんでした。希少本のようですが、東京の国会図書館が所蔵している可能性があるかもしれません。所蔵していれば、閲覧・コピーの可能性が出てきます。
この時代の旅は、苦労もありましたが、それだけ友人を得るなど大きな実りもありました。
現代の便利で快適な旅行では、そんな経験も成果も無いのでしょう。ある意味、不幸な時代かもしれませんね。

投稿: Jun | 2007.05.06 08:16

まじめな学生さんだった私は1972年の8月に横浜からネパールへ登山に行く途中、マドリのYHに数日泊まりましたが、お前も来るか中近東を友人が新宿紀伊国屋で購入しまあ楽しく読ませてもらいながらカトマンズへ向かいました。先日偶然弊社の研修旅行に著者の森本さんが招待者として参加されており、35年にして初めて著者に会いましたが、まあ正直なところそのまま青年が中年(老人ではない)になられ元気なのには感心しました。どなたかお前も来るか中近東持っていませんか?森本さんも1冊しかないそうで。
私の青春の1ページならぬ100ページが本中にあるので。
でも楽しい思い出で、おかげで当時一緒にミュンヘンからイスタンブール、カブール、インドと旅した仲間とは今でも時々会う生涯の友人に会えました。今は平和が遠ざかっていますが、行きそびれたバンディアミールに行けることを夢見て。

投稿: 金杉 公夫 | 2007.04.27 01:18

JUNさま

旅好堂店主、元カサデカンポ2代目番長のgohです。僕の掲示板に書き込んでくれてありがとうございます。

大兄のメールを番長会の世話役に転送しておきます。

時々、掲示板に遊びに来てください。
大兄は僕と同じぐらいの年齢でしょうね。僕は昭和24年の早生まれで、ネズミ年と同じ学年です。今年56歳になりました。

マドリにいたのは1970年、20歳のときですから35年も前のことなんですね。

懐かしい♪

投稿: goh | 2005.04.16 14:00

JUNさま

マドリ2代目番長のgohです。このたびはいろいろありがとうございます。
僕の掲示板にも書き込んでいただき感謝深謝。
おかげさまで、「マドリ番長会」の会員の方からメールがたくさん届きました。

会員の末席に加えてくれました。JUNさんも会員になりませんか? 世話役を紹介しますよ。

僕の掲示板をご覧になってください。
今後ともよろしく。

goh

投稿: goh | 2005.03.22 13:38

JUN様。原様。

まずJUNさん、僕のブログへアクセスしてくれてありがとうございます。

僕は1970年の4月に横浜を出て、その年の10月頃カサデ・カンポにたどり着きました。

何を隠そう、僕はマドリのカサデ・カンポの番長2代目です。初代は四日市出身の東條でした。

大兄のトラックバックを拝見しましたら、三菱の車で世界一周していた彼には、そのカサデ・カンポで何日間か一緒に暮らしました。2人組のドライブ旅行だったと記憶しています。

「おまえも来るか!中近東」を5~6人ぐらいで書きました。一応僕が世話役でした。出来上がった本を車に積んで、日本各地に営業に行きました。結局3000部ぐらい売れましたね。

僕はトラベルライターになり、今までに18冊の旅行ガイドブックを書きました。

我が旅好堂↓  http://homepage3.nifty.com/ryokodo/
にも訪問してくださいな。

今後ともよろしく。

goh

投稿: goh | 2005.03.13 16:50

原さん、コメントありがとうございます。ヨーロッパ放浪をされた方ですね。私の、記事は当時のことを書いた日記帳が元になっています。記憶は、この日記を見ても思い出せないことがたくさんあります。
 ところで、「原正三」をクリックして、原三のブログに行ってみました。「ヨット大好き」のブログ名でヨットを仕事にされている方ですね。フランスでクルーザーの開発をされているとのこと。
 私も、フランス製のヨット、ジャヌーの42フィートで仲間と一緒にクルージングを楽しんでいます。
 今後ともよろしくお願いします。

投稿: Jun | 2005.03.11 17:54

マドリのユースとか番長とか森の家とか
あ~ 懐かしいです。もう34年くらいも前のことなのに よく憶えていますね。
あの放浪の旅でも色々な日本人に会いましたが、帰国後 再会することもなくすっかり忘れていて
今日まできました。ちょっと思い出してみます。

投稿: 原省三 | 2005.03.11 15:24

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