« 寅さんの「くるまや」の再現セットと「寅次郎相合い傘」の放映 | トップページ | 宗像市のグローバルアリーナ・GA倶楽部のバイキング »

2005.10.22

キプロス入国ビザ騒動 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(28)

スポンサードリンク


 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記の連載。今回からは、キプロス島へのビザ騒動です。

何故にあなたはキプロスに行くの
 前回の、ロンドンのケンブリッジ英会話学校でも、少し述べましたが、キプロスは今まで旅行した国、地域の中で一番印象深く、思い出に残った所です。

 何故、キプロスなのかですが、英会話学校のクラスメートに3人のキプロス人の女性がいました。グースン(Gulsum)、ハティク、そしてマリクの3人です。彼女等は、全員トルコ系キプロス人であり、特にグースンはよくティールームで会話を交わす機会もありました。グースンの故郷は、キプロスの港町、ファマグスタでした。彼女等の話を聞いているうちに、キプロスに興味を抱き、とうとう行くことに決めてしまったのです。

ユーレイルパスとスチューデントユーレイルパス
 1974年(昭和49年)2月28日に、私は、ロンドンからパリに列車で向かいました。この日から、1ヶ月間のスチューデントユーレイルパスが発効しました。ユーレイルパスとは、列車の周遊券みたいなもので、ヨーロッパの各国の鉄道が乗り放題のパスです。通常、1週間とか2週間の期間を定めて事前に日本で購入しておきます。ヨーロッパ内では購入できません。特急なども乗り放題でかなり安く鉄道旅行が楽しめます。
 発効の起算日は、最初に乗車した日からです。その日から、1週間チケットなら1週間は有効です。

 スチューデントユーレイルパスは、学生割引のパスで、かなり安く購入できます。私は、日本で1か月のパスを購入しておきました。ただ、スチューデントパスは、特急や寝台車には乗れません。乗ってもいいのですが、特急料金や寝台料金が別払いになります。でも、学生は時間がありますし、ローカル列車の旅も、それはそれは楽しいものでした。

アテネからキプロスへ飛ぶ予定
 2月28日にパスを使い始めましたので、3月27日には失効します。その3月27日の日には、私はイタリアの港町ブリンディシにいました。ドイツ、スイス、ローマなどをローカル列車で旅をしてたどり着いたイタリアの長靴の踵(かかと)付近の町です。ここから、フェリーに乗り、アテネに行きそこからキプロスに行く算段でした。

 ヨーロッパ諸国は、ノービザで行けましたが、キプロスは流石にビザがいるだろうとロンドン滞在中には思っていましたが、何しろインターネットもない時代。本などの情報もありませんでした。今から考えるとうかつだったのは、何故、ロンドンにあるキプロス大使館に行かなかったのだろうと思いますが、当時はそこまで考えることができませんでした。でも、行ったにしても結局はどうなっただろうかは以下の騒動をご覧下さい。

      続きがあります。下の「続きを読む」をクリックしてください。

ローマのキプロス大使館はビザが必要と言い
 ローマに3月24日に入りました、そろそろキプロスのビザが必要かどうかを確かめようと思い立ちましたが、キプロスの在イタリア大使館の住所が分からない。そこで、アテネ~キプロス間の飛行機の状況を聞くために立ち寄ったギリシアのオリンピア航空支店で、キプロスの大使館の住所を尋ねると、紙にアドレスを書いてくれました。

 そのアドレスを頼りにたどり着いたキプロス大使館は、「Closed」の看板。開館時間が書いてあったのですが、それはなんと午前10時から午後1時30分まで。たった3時間半。私もこの時ばかりは、キプロス大使館の職員として就職したいと切に思いました。

 翌日、開館時間に合わせて、再度キプロス大使館を訪れました。今度は、インターホンに女性が応答してくれました。早速、「4月にキプロスに入国したいが、ビザは必要ですか」と聞くと、「生憎領事等が留守ですが、ビザは必要です。」とのこと。「それなら、お願いします」と言うと、「ビザは、今日ではなく明日のお渡しになります。」とのこと。

 3度もここに来るのはうんざりだし、翌日にできるのなら、アテネのキプロス大使館で取っても良いかと思い、「時間がないので、アテネで作ります。」と言って、丁寧に礼を言って帰りました。

アテネのキプロス大使館はビザは不必要と言い
 3月29日に、アテネのキプロス大使館にビザを取りに行きました。この大使館が、インチキ旅行会社の事務所風で何とも信頼性に欠ける雰囲気。それでも、「キプロス大使館」との看板を掲げているから間違いはあるまいと思いながらの訪問。

 「日本人だが、キプロスに行くのでビザを取りに来た」と用向きを告げると、奥の方に連れて行かれました。そこには、50歳くらいの男が机に座って仕事をしていました。その男に、再び「日本人だが、ビザを交付してほしい。」と言うと、「Japanese are our freinds. No visa !  No Visa !!」と大きな声で言いました。「Are you sure?」と聞くと、「Of course !」の返事。 ローマの大使館とは話が違うが、よりキプロスに近いアテネの大使館が言うから本当だろうとこれまた呑気な考え。

 実は、キプロスまでのフライト予約相談で訪れたギリシアのオリンピア航空で ビザのことを聞くと必要ないとの答えがありましたし、キプロス航空のカウンターでは必要ですとのバラバラの答えを聞いていました。これで、ローマの大使館とキプロス航空の必要派と不必要なのはアテネの大使館とオリンピア航空で、ビザは必要と不必要は2:2の半々。

結局ビザはどうするの?
 もうどうでも良い気がしてきて、結局、ノービザでキプロスへ行くことに。これまた、今では考えられないお気楽
モードでしたね。

 By  Jun

スポンサードリンク

|

« 寅さんの「くるまや」の再現セットと「寅次郎相合い傘」の放映 | トップページ | 宗像市のグローバルアリーナ・GA倶楽部のバイキング »

08 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52841/6504043

この記事へのトラックバック一覧です: キプロス入国ビザ騒動 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(28):

« 寅さんの「くるまや」の再現セットと「寅次郎相合い傘」の放映 | トップページ | 宗像市のグローバルアリーナ・GA倶楽部のバイキング »