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2005.10.06

横須賀の記念艦「三笠」訪問記(3)

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dsc_1286_syukusyoumoji 前回は、横須賀の戦艦「三笠」に乗艦して見学したレポートでしたが、今回は「三笠」を少し離れたところから見た記事を書いていきたいと思います。

「三笠」は地べたの上

 まず、お断りしておきたいことは、「三笠」は海の上に浮いていないことです。え!と思われるでしょうが、これが地べたに埋め込んであるのです。何故このような奇怪なことになったのかは、承知していないのですが、とにかく残念です。船というものは、海の上に浮かんでいて、少し揺れていることが体感できてこそ船の存在が感じられるのですが、「三笠」は微動だにしません。

 見学者の学生らしき二人連れが、「これじゃ、まるでタミヤのウォーターラインシリーズじゃないか」と話していましたが、全くその通り。英国のテムズ川に浮かんでいる保存艦「HMSベルファスト号」を見習ってほしいものです。でも、その英国でも、確かティー・クリッパーのカティサークは、ドックのような所に上架してしていたような記憶もあるのですが・・・。それでも、カティサークを地べたに埋め込むことはしていません。

艦首のお話

dsc_1317_syukusyoumoji さて、艦首ですが、菊のご紋章が燦然と金色に輝いています。このご紋章は、帝国海軍全ての艦船に着いていたわけではなくて、戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦等の比較的大きな艦に付けられていたようです。
 写真では見えませんが、艦首はいわゆる「衝角」 ラム構造で出っ歯のように突き出ています。軍艦は、砲弾の貫通力と艦体の装甲の強さのいたちごっこですが、帆船時代から常に艦体の装甲の方が砲弾より勝っていました。
 そのため、大砲の弾では穴を開けて沈めることができないため、艦首を尖らせて体当たりで沈める戦法がとられました。明治期にもそのような戦法が活きていた時代だったのでしょう。

dsc_1325_syukusyoumoji 余談ですが、映画「ベン・
ハー」では、ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)はガレー船に捕らわれていましたが、そのガレー船に敵のガレー船が、衝角を用いて突っ込んでくるシーンが印象的でありました。

アンカーのお話

 次にアンカー(錨)です。アンカー自体はそうめずらしい形ではないのですが、その収納方法が面白いと思いました。いわゆるアンカーベッド方式で、投入時には斜面を滑り落ちるような感じです。

dsc_1319_syukusoumoji 錨を揚げるときには、アンカーベッドの横にあるデリック(クレーン)を用いるようですが、通常のアンカーホールの方が簡単に思えます。

「Z」旗が見えます。

 マストを見上げると、前マストには「Z旗」、この旗は、本来 アルファベットの「Z」を表し、漁船等の「投網中」を意味するものですが、日本海海戦時には、「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ。」の信号旗として掲げられました。
 後マストは、見えにくいのですが、連合艦隊司令長官座乗の将官旗であると思われます。あまり自信はありませんが・・・

30cm主砲のお話

dsc_1324_syukusyoumoji 一段と目を引くのが、30cm連装主砲ですが、本物ではありません。それらしく新しく作られたものです。この本物の主砲が、我が宗像・福津市の東郷神社に保存されているのです。ただし、砲身の先端部だけ。なんでも、終戦時に切断されて、八幡の溶鉱炉に投げ込まれそうになったのを、地中に隠して難を逃れて現在の保存にいたったようです。ここには、何と三笠のオリジナルの探照灯まで保存されていますので、興味のある方で福岡県内の方は、ぜひご覧になって下さい。県外の方は、ガッカリされるといけませんのでよく考えてください。

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コメント

アンカーはマーチンスストックアンカーなので、アンカーホールにはできないかと。ついでに、当時のキャプスタンはやっぱり違うもので、上下二段(下が錨鎖、上がアンカーダビット用のキャットチェーン)。

菊花御紋章は小型の砲艦にもみられ、外交における主役に与えられるのであります(このころの戦艦では士官室でサロンパーティ、その他で園遊会などができるんです)。

投稿: 降下猟兵大佐 | 2014.12.15 09:47

降下猟兵大佐さん、お早うございます。Junです。

やっと記念艦三笠が浮き船でなく固定されている理由が分かりました。

貴重な情報ありがとうございます。

今後とも宜しく尾根がします。

投稿: Jun | 2014.11.20 10:44

えーっとですね、三笠は関東大震災のときには横須賀にいたのですが、その震災の波浪によってシベリア出兵のときの古傷が開き沈没いたしました。(浅かったのか甲板は出たいたとか。)そしておりしも軍縮条約が締結され、三笠は廃艦となり、武装は総撤去されました。
 しかし国民の嘆願によって保存が決まったのですが、条件があり、「二度と航行できない状態で」あることで保存が国際的に認められたことと、沈没してたのを治すのが割に合わず、結果として現在の形にまとまったそうです。
 保存当初は木製の艤装品であった(マスト、煙突等は本物)そうです。

投稿: 降下猟兵大佐 | 2014.11.20 09:45

フランカーさん、今晩は。
ありゃりゃ、すみません。誤解を与えてしまったようですね。
三笠の主砲は砲塔に2本装備されています。宗像の東郷神社の単装の砲塔は、これこそまことにテキトーに造られたダミーにもならないものです。東郷神社にある本物は、砲身のそれも長さが1mくらいのものです。
 ご指摘の大和の鉄甲弾は、後甲板の入り口付近に立ててありました。あれが飛んでいくとはすごいなと思いました。
 確かに兵器は、不合理に人間を殺傷するために合理的に作られたものです。兵器の魅力はそこにあるのかもしれませんね。何だか変な話ですが。

投稿: Jun | 2005.10.07 21:38

なんと、砲塔については知りませんでした。ホンモノは連装ではなく単装だったのですか?

そういえば入り口階段付近に、大和の91式徹甲弾がありませんでしたか?確か大の大人より大きかったような。。

巨大なものを作り、それで他のモノを壊したり命を奪いあったり・・戦争のツールとはかくも非合理的なものですね。

投稿: フランカー | 2005.10.06 23:23

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