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2005.10.04

横須賀の記念艦「三笠」訪問記(2)

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dsc_1280_syukusyoumojidsc_1279_syukusyoumoji  「三笠」近くの観覧券売所で、500円の券を買っていよいよ乗り込みです。左舷側後部にあるギャングウェイ(階段)を登るとチケットをちぎる人が迎えてくれます。ギャングウェイを登り切ると後甲板に出ました。
 後甲板には下に通じるラッタル(階段)があり、ここを降りると司令長官室や艦長室などがある中甲板となります。帆船時代の名残かスターン(艦尾)最後部には、東郷司令長官の居室があり、ここには明治天皇の御真影が掲げられていることから艦内でも一番神聖な部屋でもありました。

dsc_1284_syukusyoumojidsc_1275_syukusyoumoji  この居室は、家具調度も立派なもので、また、艦尾を取り巻くスターンウォーク(艦尾を取り巻く外回廊)に通じる唯一のドアがあり、このスターンウォークも長官専用なのです。
 司令長官居室に隣接して司令長官公室があります。ここは、テーブルや暖炉などもあり会議等に使用していたようです。この部屋には東郷司令長官の遺髪が展示されています。

dsc_1283_syukusyoumojidsc_1277_syukusyoumoji また、この付近には司令長官の寝室や浴室があります。英国製の艦だからかどうかわかりませんが、浴室のバスタブ等は西洋式で、東京のビジネスホテル以上に味も素っ気もありません。もう少し、何とかならなかったのかと思いますが、軍艦ですから仕方がありません。
 当時の日本では、このような巨大な軍艦を建造する技術がなかったから仕方がないのですが、太平洋戦争に参加した戦艦金剛さえも1913年建造で、「三笠」と同じビッカース社製であることはあまり知られていない事実です。

dsc_1278_syukusyoumojidsc_1310_syukusyoumoji 話を中甲板に戻しますが、あと士官室や15cm副砲、様々な展示物を見ることができます。なお、舷側にハリネズミのように配置された副砲群も、やはり帆船時代の戦闘艦の名残を感じさせてくれます。展示物の中で興味を引いたのが、「三笠」のデッキに敷き詰められていた分厚いチーク材でした。私達のヨット、アクのデッキにも一部チーク材を敷いていますが、その厚さの差は、沖縄のレストランのステーキとカミさんが西鉄ストアーから買ってきた我が家のステーキくらいの差があります。

       続きがあります。下の「続きを読む」をクリックしてください。

dsc_1288_syukusyoumojidsc_1287_syukusyoumoji 非常に残念だったことは、やはり機関室は公開していないことです。恐らく、機関設備は撤去されていて機関室内はがらんどうであることは容易に想像がつくのですが、艦船の機関室は、見学者としては最もワクワクする所ですのでがらんどうでもいいから見せてほしいとつくづく思いました。
 艦内の中甲板から上甲板にでてきました。これからは、艦橋や煙突などの上部構造物の見学です。

dsc_1322_syukusyoumojidsc_1303_syukusyoumoji ただし、「三笠」の現在の上部構造物は、ほとんどオリジナルものは残っていなくて、新しく作られたものですので、ご了解下さい。
 チークの甲板を踏みしめ、8cm補助砲群、煙突の横を通り過ぎて前部艦橋を目指しました。前部艦橋は、後代の日本戦艦の特徴でもある巨大で高層な艦橋構造物ではなく、非常に単純な低層のフライングデッキと操舵室を備えています。従って、上甲板からも比較的簡単にフライングデッキに到達できます。

dsc_1290_syukusyoumojitogotyoukanmoji フライングデッキには、両翼に探照灯(サーチライト)、しかしこの探照灯は明治時代にしては新しすぎるし、また後方にある敵艦との距離を測る測距儀も古いものではないようです。
 操舵室上のの露天指揮所には、伝声管2本と羅針盤があります。東郷司令長官が、この羅針盤の後で指揮を執っている有名な絵「三笠艦橋の図」がありますが、なかなか良い絵です。

dsc_1302_syukusyoumojidsc_1294_syukusyoumoji しかし、このようなフライングデッキと操舵室では、戦闘中に砲弾を一発食らうと、司令長官もろとも舵輪等も損傷を受け、一気に戦闘指揮や操艦機能を失ってしまう事はお分かりでしょう。そのために、操舵室の直下に戦闘指揮所と言うものがあり、ここは30cm厚の鉄板で囲まれた円筒形の小さな部屋で舵輪もあり、ここに陣取って戦闘を指揮することになります。
 
dsc_1289_syukusyoumojidsc_1291_syukusyoumoji 日本海海戦時には最後まで、この戦闘指揮所で東郷長官は指揮を執らずに露天戦闘指揮所で指揮を執りました。

 「三笠艦橋の図」は、記録魔であった艦長伊地知大佐が、Z旗 (皇国ノ荒廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ) が降下されつつある、戦闘開始直前のブリッジ上の将兵の位置を正確に記録していたものを元にして書かれたものです。それにしても、戦闘直前の艦長が、よくも将兵の位置関係を記録したものですね。
 なお、ヨットに乗られる方はお分かりでしょうが、磁気羅針盤は金属が近くにあると方位が狂います。そのため、「三笠」でも露天戦闘指揮所は、金属持ち込み厳禁でしたが、東郷長官は決死の覚悟で戦闘に臨んだため、その象徴として特別に軍刀を持ち込んだと言われています。 

 戦闘指揮所も復元されていますが、30cm厚の鉄板は、手で叩いてみるとコンコンと中空であることがわかる音がします。視界確保のための最小限のスリット(細長い穴)が切られており、中には羅針盤、舵輪そしてエンジンテレグラフ(機関室に艦の速度、前進、後退を命じる器具)が備えられています。この辺の設備は、民間の船にはなく、軍艦そのものの設備であります。

   By  Jun

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