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2005.11.01

大阪の釜ヶ崎と飛田新地で感じたこと。

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悪名の映画でも出てきた大阪「新世界」へ行きました。

 大阪を訪れて、観光スポットの一つである新世界に行きました。この新世界は、勝新太郎の映画「悪名」にも登場する地域で、映画の中では、「新世界のカポネ」と言う親分が登場しました。

 勝新太郎の八尾の朝吉親分が、チェリーという女性を遊郭から足抜きさせようとして、対立した親分です。ま、そんなことはどうでもいいのですが、新世界という地域は東京の浅草にも似た下町の雰囲気がとてもいい場所です。

 お決まりの通天閣に昇り、「ビリケンさん」にお参りした後、ジャンジャン横丁に行き、名物の串カツを食べました。その後、行く当てもなくブラブラしていると、ある地域に思いもかけずに紛れ込んでしまいました。

ここは、「釜ヶ崎」?

 大きな道路に沿って歩いていると、いきなり大きな建物がありました。その建物の1階はオープンスペースになっていて、2階に施設があるようです。そして、1階部分の広大な駐車場のようなスペースには、数十人の人がいました。これらの人々は、特に何をする風でもなく、いわゆるたむろしていました。

airincenter_syukusyoumoji この光景は、私に大きなショックを与えました。暗い、無機質のコンクリートの建物が異様な圧迫感を与え、人々がそこの暗がり潜んでいるのです。ただならぬ雰囲気です。その時、私はここはひょっとしたら「釜ヶ崎」地区ではないかと思いました。
 まさにその通りで、この建物は、釜ヶ崎(あいりん地区)の労働者が働き口を求めてやってくる「あいりん総合センター」だったのです。

 釜ヶ崎と言う名前を私が知ったのは、報道された暴動でありました。最初の暴動は、1961年に交通事故死した労働者の遺体に、警察官がムシロをかけたまま放置したことにより、労働者たちが犬猫の扱いだとして暴動を起こしたものでした。暴動の原因がこのようなことであったことは、最近知ったのですが、その後もよく大阪の釜ヶ崎で暴動が起きたことは記憶に残っています。なお、「釜ヶ崎」と言う行政地名は存在しません、古くからの通称とされる地域名なのです。
 また、「オカマ」の語源も、食い詰めた釜ヶ崎の住人が、女装してその手の商売をしたことから出てきた言葉だという説もあるそうです。

釜ヶ崎の奥へと入っていく

 「あいりん総合センター」の横を通り抜けて、釜ヶ崎地区の奥の方に入っていきました。ドヤ街と言われる劣悪な宿泊施設が並んでいるものとの先入観がありましたが、実際は、ビジネスホテルのような建物が並んでいて街並みは意外と普通に近いものでした。ただ、その表示されている宿泊料金が、1泊2000円前後と格安です。また、個室で空調完備とうたっている宿泊施設が多く見られました。

oosaka0132_syukusyoumoji 地図もないまま、歩いていると急に大きな灰色の建物がありました。高い塀に囲まれたこの建物は、釜ヶ崎地区のど真ん中にある「西成警察署」です。暴動に備えてなのか高い塀に囲まれた威圧感のある警察署です。唯一、釜ヶ崎で写真を撮ることができたのが、この警察署です。さすがに、警察署の前はカメラでも出せる雰囲気で、その他の場所では不用意にカメラを出すことは避けた方がよいようです。余計な心配なのかもしれませんが、初めて来た場所ですし、興味本位にカメラで撮影することは良くないと思い撮影しませんでした。

            続きがあります。下の「続きを読む」をクリックしてください。

三角公園では街頭テレビが

 西成署を後にして、奥の方に進んでいくと、三角形をした公園にでました。この公園には、ブルーシートで住みついている人も多く、賑わっていました。すると、公園の一角で人混みがありましたので行ってみると、何と街頭テレビでした。行政が設置したと思われるテレビが、露天の地面から高いところにあり、そんなに大きなテレビでもないのですが、大きな音声も出ており、丁度プロ野球のデーゲームの中継を放映していました。平成の時代に、街頭テレビを見られるとは想像もできませんが、現実にここにはありました。

 この野球中継を見るために30人くらいの人が、テレビを囲んで見ていました。ある人は座り、ある人は立ってみていました。この公園の界隈は、もっとも釜ヶ崎らしい雰囲気のあるところでした。

大遊郭の面影残す「飛田新地」へ

 この三角公園を後にして、フラフラ歩いていくと、これまた雰囲気の異なる隣接地区に出ました。大きな門のようなコンクリート柱に「飛田新地料理組合、飛田環境浄化委員会」の看板がありました。その時は、分かりませんでしたが、飛田新地とは、これまた悪名に出てくる松島と並ぶ大遊郭地の跡なのです。東京の吉原と同じく、現在でも風俗店が建ち並んでいますが、これがまた、福岡では絶対に見ることができない飾り窓のようなもので、お店の玄関には、若い娘さんがライトアップされた座椅子に座って手招きをするのです。この娘さんの横には年配の女性が座っており、この人がまた声をかけながら手招きします。

 私がこの地域に入ったのは、午後3時頃でしたが、閉めている店の方が多く、開いている店は3割くらいの印象を持ちました。この地域の建物は、古くからある妓楼のものらしく、映画「悪名」で見たような独得の建築様式がありそれ自体を見るには非常に面白いものです。

oosaka0133_syukusyoumoji やがて、営業をしているらしい料亭があり、これが同じ妓楼様式なので写真撮影をしました。通常は営業して無くて、予約客のみ受け付けているようです。大きく店の看板には「百番」との屋号が書かれていました。釜ヶ崎と同じ理由で、飛田新地で撮影したのはこのお店だけです。

釜ヶ崎と飛田新地で思ったこと

 大阪には、難波や道頓堀と言った栄えているところもありますが、釜ヶ崎や飛田新地と言ったような地域もあります。これは、東京でも銀座や六本木があれば、山谷も千束もあると言ったようなものなのでしょう。

 ただ、大阪人でも、釜ヶ崎や飛田新地の名前は知っていても、どのような地域なのか認識している人や実際に行ったことのある人は少ないでしょう。
 また、テレビなどのメディアも、お笑い番組やバラエティ番組ばかりで、このような地域の実情を伝える昔のような骨のある社会派ドキュメント番組は少なくなりました。確かに、知ろうとも思わないし、知ってもどうしようもないと言うことは理解できなくはありません。しかし、同じ日本の中で、このような地域が存在続けていると言うことを全く知らないのではなく、また、何とかできないのかという意識を少しでも持つ必要があるのではないのかと強く感じました。

 最後に、岡林信康の「山谷ブルース」ほど有名ではありませんが、三音英次の「釜ヶ崎人情」の歌詞をご紹介しておきます。

○ 釜ヶ崎人情

 「立ちん坊人生味なもの、通天閣さえ立ちん坊さ
  だれに遠慮がいるじゃなし、じんわり待って出直そう
  ここは天国 ここは天国 釜ヶ崎」

 「身の上話にオチがつき、ここまで落ちたと言うけれど
  根性丸出し丸裸、義理も人情もドヤもある
  ここは天国 ここは天国 釜ヶ崎」

 「命があったら死にはせぬ、あくせくせんでものんびりと
  七分五厘で生きられる、人はスラムというけれど    
  ここは天国 ここは天国 釜ヶ崎」


三音英次の「釜ヶ崎人情」オリジナルCDです。
独特の哀愁をもった歌い方で、釜ヶ崎で働く人たちの心情を唄いあげています。
釜ヶ崎人情 三音英次他




「釜ヶ崎有情」や「現代ホームレス事情 大阪西成・あいりん地区に暮らす人々を見つめて」などの書籍です。
釜ヶ崎有情や現代ホームレス事情 大阪西成・あいりん地区に暮らす人々を見つめてなど



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コメント

ななみさん、今晩は。 Junです。
遊郭の跡が、小倉の京町や下関にあったとのことですが、そう言えば京町付近は現在でも風俗店が多いことからもあり得る話ですね。
2階からお客を呼び込むような建物までは気付きませんでした。
 今度、京町に行く機会があったら注意して見てみたいと思っています。
 貴重な情報ありがとうございました。

投稿: Jun | 2005.11.23 22:52

遊郭の後なら、小倉の京町辺とか下関のほうにも
あったような気がしますが、、(2階からお客を呼びこむような建物です)

投稿: ななみ | 2005.11.23 21:32

 圭一さん、みどりさん、今日は。Junです。
 ご夫婦で、このブログを読んでいただいているとのこと、本当にありがとうございます。
 釜ヶ崎には、大阪の会議が金曜日にあり、土曜日に行きました。普通、会議のある日には行くことができません。たまたま、金曜日で宿泊しなければならない時は、午前中に帰るのでなく、夕方に帰るようにすれば時間がとれるのです。
 あのCDは、本当に懐かしいですね。松尾君にも感謝しています。
 圭一君にもよろしくです。

投稿: Jun | 2005.11.03 09:46

色んな所に行くんですね。出張の時行ったんですか。時々圭一さんと読んでいます。
 松尾さんから河鹿のCD送ってもらいました。毎日(?)の様に聴いています。懐かしいです。

        古賀 圭一   緑   

投稿: 古賀 緑 | 2005.11.02 23:36

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