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2006.03.12

キプロス・ファマグスタ ホテルは爆弾の犠牲に’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(31)

 1974年3月30日(土) キプロス ファマグスタ(Famagusta)

愛しのフロリダホテルは戦争の犠牲に

 1時間後にフロリダホテルの前で待ち合わせの約束をした後、アメリカ人兄妹と別れて、ホテルに入りました。

 このフロリダホテルは、ニコシアの空港で予約を入れたホテルです。ファマグスタのGold  Beacに面した3階建ての薄い青緑色の古びたホテルでした。しかし、これまでヨーロッパを旅した中で、一番立派なホテルでした。というのも、宿泊するところと言えば、ユースホステル、到着した駅の歩いて10分以内の安ホテル、時には駅で寝たりしていましたからろくな所に泊まっていない旅でした。

cyprus_florida_hotel_mojisyukusyou  しかし、フロリダホテルの横に立っている、10階建て以上の「コンスタンチンホテル」や「サラミスホテル」などに比べると見劣りがします。と言っても、フロリダホテルのクラシックな佇まいも、日本の良い旅館に泊まったときと同じ風情がありました。

 ところで、このホテルに私は、1974年3月30日から数日宿泊していましたが、それからわずか4ヵ月後の7月20日に、突如トルコ軍はキプロス侵攻をしました。この際の戦闘や爆撃で、このフロリダホテルは完全に吹き飛ばされてしまったと後日、キプロスで知り合った人からの手紙で知りました。

cyprus_goleden_beach_jun_syukusyoumoji  ホテルのレセプションで、空港から予約を入れた旨を話すと、すぐに部屋に案内してくれました。2階の一室で、海が見えないのは残念ですが、ツインの部屋でバス・トイレつき。ラジオもありました。鎧戸のついた窓を開けると、下は通りでした。

アメリカ人兄妹と夕食に

 少し休んで、ホテルの前に出ると、約束したアメリカ人の兄妹はすでに待ってくれていました。ホテルは見つかったかと聞くと、この先のホテルで5ポンドくらいのホテルに決めたとのこと。

 連れだって、食事に行くことにしました。南側の方向にレストランがありそうなので、Kennedy avenueを南進しました。観光地らしくホテルやお土産屋さんも多く、明るく綺麗な通りでした。

cyprus_goleden_beach_syukusyoumoji やがて適当なレストランを見つけたので入りました。あまり豪華でもなく、かといってみすぼらしくもないレストランでした。老人のウェイターが注文をとりに来ました。私は、マッシュルームスープにラムカツレツ、お兄さんはコッド(タラ)ソテー、妹は何を注文したかは記録にありません。食事の間は、車や旅、もろもろの世間話をして楽しく過ごしました。

 食事を終えて、それぞれのホテルに引き上げる事にして、兄妹と別れました。このアメリカ人の兄妹とは、この食事以来会うことはありませんでした。

キプロス紛争のさなかに

 フロリダホテルに戻りましたが、まだ寝るのには時間があるし、そこらを散歩することにしました。言い忘れましたが、このフロリダホテルがある所はギリシア人地区でした。散歩の行き先は、トルコ人地区です。ロンドンの英会話学校で知り合った友達は、トルコ人地区の出身でした。

 ここで、少しキプロスのことを話しましょう。キプロス人というものは無く、住民はギリシア人とトルコ人です。キプロスの人口は、当時どのくらいかは忘れましたが、100万人以下でした。その人口比率は、ギリシア人が80%、トルコ人が20%くらいだったと思います。

cprus_un_jeep_syukusyoumoji 1974年の当時は、キプロス共和国となっていましたが、ギリシア人が主導権を握っており、トルコ人はおざなりな感じで政府のメンバーとなってはいました。この両民族は、対立抗争の歴史があり、当時のキプロスでは国連の平和維持軍がすでに活動していました。

 従って、私もキプロスに入る時は、いつ紛争や戦闘に巻き込まれるかもしれないとの覚悟はしていました。このフロリダホテルに泊まっている時も、いざ事が起これば、近くの英軍基地か国連平和維持軍の詰め所に逃げ込もうと考えていました。そのため、フロリダホテルからどの方向が英軍基地かは地図で確かめていました。なにしろ、当時のキプロスには在留邦人や日本人旅行者は全くいなかったのでした。

 もっとも、今から冷静に考えると、紛争や戦闘の最中に出歩いた方がいいのか、事態が収まるまでフロリダホテルに留まった方がいいのかと考えると後者のほうが良さそうです。加えて、中立的な英米人は結構、ファマグスタにもいたのですから、彼らと同じ行動を取るのがベストでしょう。しかし、当時はそんなことは考えつきもしませんでした。

* 掲載の写真は全て1974年当時の撮影で、写真をスキャナーで読み込んだ後、画像ソフトで退色修正処理をしております。

 By  Jun

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コメント

 Ryuさん、今晩は。Junです。
 英語では、サイプラス、Cyprusと言いますね。キプロスはギリシア語系の音のようです。
 写真は、74年当時の撮影の写真で、カラーの退色が相当進んでいます。キャノンのスキャナーで読込む時に設定をすれば、読み込み終えると退色を補正してくれています。
 画像ソフトを使う必要が無いくらいで便利なものです。
 それと、詳細に書き込めるのは、当時の旅行日記を保存しているからです。旅行時の日記は、わずかしか書けませんでしたが、帰国後、忘れないうちに1年以上かけて大学ノート10冊くらいの手書きの記録を作りました。
 このノートのおかげです。記録を書いたときは、まさかブログに書き込むとは思っていませんでした。
 このノートを何時の日か、ワープロで打ちなおそうとかねがね思っていたのを、ブログを機会に書き始めたものです。このノートの記録は、ブログの記事の何倍ものボリュームがあります。それをはしょって書いています。
 このブログの目的の一つは、私の過去の記録でもあるのです。

投稿: Jun | 2006.03.16 22:10

Junさん今日は!お久しぶりです。so-net blogの状態は少し改善されました。根本的な対応が必要と思います。キプロスへは行ったことがありません。現地の発音はサイプラスですね。一生行くことは無いところかも?写真のリメーク大変よく仕上がっています。記録や記憶が詳細に残っているのはJunさんの人柄と頭脳ですかね?私なんか本と忘れるばっかりです。

投稿: Ryu | 2006.03.14 12:39

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