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2006.05.23

キプロス・ファマグスタ カンターラ城へ行く ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(35)

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 1974年3月31日、キプロス・ファマグスタ

ヒッチハイクの車に忘れ物

Kantara_bus_syukusyoumoji  ヒッチハイクで乗せてもらったオースチンの二人組みとフロリダホテルの前で別れました。しかし、その直後に車内にキプロスの観光パンフレットと英語の辞書を忘れてしまったことに気づきました。

 しかし、オースチンは視界から消えてしまっており、諦めてしまいました。フロリダ・ホテルに戻り、これから乗車予定の観光バスの出発時間と集合場所を確かめました。バスは、3時に近くのホテルに来ることになっていました。

 3時前になったので、予定の場所に行きました。大型のモダンな観光バスが待っていました。半年間、色んな場所を旅しましたが、観光バスに乗るのは初めての経験でした。色んなヨーロッパの街に行きましたが、大抵は歩いて回れるくらいの距離で、大きなパリなどは地下鉄や路線バスで回れました。

Kantara_bus_driver_syukusyoumoji  観光バスに乗り込み、一番前の席に座ると、運転手とガイドが世間話らしきものをしていました。何気なく、フロリダホテルの方を見てると、何とあのオースチンが戻ってきました。時計を見ると、2時55分! 運転手に「ちょっと待ってください。」と言いながら、下車してオースティンに駆け寄りました。

 あの二人が、オースティンの横に立っており、ニコニコしながら手には、パンフレットと辞書を持っていました。横を通り抜けながら、「少し待ってください。」と言い、2回の部屋に駆け上がり、日本の絵葉書を持って降りてきました。

 二人に絵葉書を渡して、お礼を何度も言いました。観光バスを待たせたままなので、あわてて戻りました。バスの人たちは、あまり待った風でもなく、やがて出発しました。

Kantara_castle_syukusyoumojiキプロス北東部のカンターラ城へ

 バスは、サラミス遺跡で朝通った同じ道を行きました。行き先は、北の方の「Five Fingers Mountain 五本指山」には、カンターラ城があるのです。バスは、小さな村々を次々と通り抜けて行きます。やがて、山岳部に入り始めました。山の急カーブを巧みなハンドリングで登り始めました。時折、羊の群れと羊飼いが見えました。オリーブの樹も所々にあります。

 平地から500mほど上がったところにカンターラ城があります。ベニスの商人が活躍していた頃、キプロスもベニスの支配下になりました。ファマグスタのオールドシティの城壁もベニス人がトルコの攻撃に備えて造ったものです。この城も、トルコ人の襲来に備えたものだそうです。

Kantara_viewsyukusyoumoji  バスを降りて、山頂に続く道を歩くことになりました。カンターラ城は、この山頂にあります。10分くらいで、カンターラ城に着きました。下の方を見ると、キプロス北部の海岸線と地中海が良く見えます。水平線の向こうは、シリアやレバノンのはずですが、曇っていてあまり見えません。

 カンターラ城に目を向けると、そこは荒れ果てた城でした。城の形も定かではないほどでした。城の内部に一応入ると、何もない空間でした。壁に砲や銃を撃つための穴が開いていました。別な角度から、海を見てみるとウッスラと陸地が見えます。どうもトルコ本土のようです。船ならば1時間くらいの距離でしょうか。ガイドが、朝はニワトリの声が聞こえてきますよなどとジョークを言ってくれました。

        続きがあります。下の「続きを読む」をクリックしてください。

椅子を持ってお呼ばれ、キプロスの面白い風習

Kantara_mountain_syukusyoumoji

 カンターラ城からファマグスタへの帰り道、不思議な光景を見ました。バスの一番前のl陣取っていましたが、田舎道を椅子を抱えて歩いている人たちがいる のです。それも、一人だけでなくて、チラホラと見かけるのです。不思議に思って見ていたら、ガイドがそれに気づいて説明をしてくれました。

 なんでも、これらの人々は親戚や友人から夕食によばれて他の家に行っているのだそうです。これらの家々には、家族用以外の椅子が少ないことから、 自分の椅子を持って訪問しているとのこと。貧しい農村ならではの話しですが、なんとなくほのぼのとした話のような気もします。 

 ファマグスタに戻った後、ホテルの近くの大衆食堂のようなレストランでカバブの食事をしてから、ホテルに戻ってきました。

フロリダホテルのロビーで英国人の母子と

 ロビーで、一人で手紙を書いていると、「今晩は」との声がしました。顔を上げると、白人の若い女性と車椅子に乗った母親の二人連れでした。

女性、「今日のカンターラ城への遠出はどうでしたか?」

私、 「何故、私がカンターラに行ったのをご存知なのですか?」

女性、「レセプションのところのボードに名前を書いたのを見たのです。」

私、 「そうですか、カンターラ城はとても良かったですよ。天候がよければもっと良かったと思いますが。」

女性、「明日も、どこかに行かれるのですか。」

私、 「いいえ、行きません。」

女性、「私達もどこかに行きたいのですが・・・」

 そう言って、寂しそうに英国人達の輪に帰っていきました。彼女は、体の不自由な母親の世話でどこにもいけないのだなと感じました。笑顔がとても感じのいい方で、私が一人で手紙などを書いていたものですから、話しかけてくれたようです。

 英国人達は、この親子を中心にして楽しそうに談笑していました。海外の小さなホテルでは、このように見ず知らずの宿泊者同士で世間話をしたりし て、交流の場がありました。これは、本当に心暖まる習慣でした。この旅からずっと後には、大きな高級ホテルにも泊まる機会がありましたが、このようなこと はあまりありませんでした。

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コメント

YAMAMOT 29さん、今晩は。Junです。
私の拙い旅行記をお読み下さりありがとうございます。
私も、この1973年から1974年にかけての旅行で、スイスのグリンデルワルトのユースホステルに泊まったことがありました。
2月の厳寒期に、早朝にユースホステルを出て道を歩いていたら突然、雪の中から人が現れました。なんと、彼は戸外で一晩過ごしたらしく雪の中から起き上がり、今何時かと聞かれました。時間を答える前に、魂消てしまい声が出なかったことを覚えています。
 何も外国を旅行することばかりでなく、自分に合ったスタイルで旅をすることは素晴らしいことだと思います。九州や四国の旅、ぜひ実現を。
 

投稿: Jun | 2006.05.27 23:32

Junさん、今晩は!YAMAMOTO 29です。
ひと通り拝見させていただきました。
私も学生時代はこういう旅行に憧れていましたが、残念ながらそれを実現するためのカネも時間もありませんでした。
海外に滞在して一番長かったのが9日間。スイスのツェルマットとグリンデルヴァルドにあるユースに滞在しました。既に30歳を過ぎていた頃で、山に行く職場の仲間(先輩諸氏)と一緒でした。ツェルマット入りした初日にあの有名なマッターホルンが全容を見せてくれたことと、すれ違う人が日本人観光客ばかりで本物のアルプスに来たのにここは「日本アルプスではないのか?」と思ってしまったことをよく覚えています。
今、海外へ行くとすればせいぜいビートルで釜山へ渡る程度。夜は大抵フリータイムなのですが、その時は単身地下鉄に乗って東莱(トンネ)にある虚心庁(ホシムチョン)という「スギノイパレス」を一回り小さくしたような温泉センターなどに行くことがささやかな「冒険」になっています。
http://www.ne.jp/asahi/world/hopper/onsen/korea/nongshim/nongshim.htm
あとスケールではJunさんに全然かなわないのですが、「青春18きっぷ」なるものを購入して、各駅電車(快速までは乗車可能)に揺られて福島まで行って帰ってきたことがあります。昨年中は仕事が忙しくて買わなかったのですが、今でも趣味の一つとなっていて、時間が取れたら九州を一周するか、フェリーあたりと組み合わせて四国あたりを旅してみようとか思っています。
また素晴らしい旅の話を宜しくお願いします。

投稿: YAMAMOTO 29 | 2006.05.25 20:55

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