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2006.06.04

キプロス・ファマグスタ アルパイ君との出会い ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記(36)

1974年4月1日 キプロス・ファマグスタ

航空券の出発を1日延長へ

 朝食後、キプロス航空の事務所に行くことにしました。と言うのも、キプロスが大いに気に入ってしまい、滞在を1日延長したいと思いました。キプロスの首都であるニコシアからアテネ行きの飛行機の予約を延長しなければ、今日にはニコシアに移動し、明日の飛行機に乗らなければならないからです。

 キプロス航空の事務所は、ファマグスタの中央部、旅行者案内所近くにあるらしいので、ホテルを出て南の方向に歩き出しました。たどり着いたキプロス航空の事務所は閉まっていました。今日は、月曜日なのに何故閉まっているのか、見渡せば付近の商店もシャッターを下ろしていました。

ギリシア人区のキプロス航空のオフィスはお休み

 引き返す途中の公園に小学生から高校生くらいの鼓笛隊の一団がいました。その中の一人に、「今日は何故商店が閉まっているのですか?」と聞くと、「今日は祝日です。」とのこと。何のための祝日かは聞きませんでしたが、いずれにしろギリシア人地区は今日はお休みのようでした。

 お金の両替もしなければならないので、キプロス航空の事務所は無いにしてもトルコ人地区に行くことにしました。トルコ人地区は、イスラム教であり普通金曜日が休みなので今日は銀行も開いているはずだと思いました。

トルコ人区の旅行代理店と銀行で 

西側のゲートからトルコ人区に入りました。広場に面して、旅行代理店らしきものがあったので入ってみることにしました。男性の事務員に航空券を見せながら、「出発を明後日にしたいができますか?」とたずねました。事務員は、「ここではできません。ギリシア側にあるキプロス航空の事務所に電話したらどうですか。」と答えました。しかし、その事務所は閉まっているのです。

 試しに、ロンドンの英会話学校のクラスメートであったGulsum Hassanさんと言う人の家はこの辺のようですが知りませんか?と聞くと、モスク(イスラム教寺院)の向こう側らしく、大体の方向を教えてくれました。

 礼を言って代理店を出ました。代理店では、銀行の位置も教えてくれましたので、銀行に向かいました。教えられたとおり行くと、すぐにトルコ銀行が見つかりました。

 本当に小さな銀行で、田舎の郵便局のような銀行でした。東京銀行のトラベラーチェックを出して、両替を申し出ました。係りの人は、ビックリした様子で何度も何度も見ましたが、最終的には両替してくれました。

 両替後、銀行の椅子に座って、これからどうしようかと考えてみました。航空券の出発延長が出来なければ、午後にはニコシアに向かい、ニコシア泊で明日はアテネに向かって発たなければなりません。もう1日くらいは、キプロスに滞在したいのですが・・・・・

親切なトルコ人青年との出会い

 そんなことを考えていると、突然、「ハロー」の声が聞こえました。そっちの方に振り向くと、若い男性がニコニコしながら立っていました。

男性 「どこから来ました?」
私   「日本からです。」
男性 「どのくらい、キプロスに居るつもりですか?」
私  「明日、出発しなければなりません。航空券が延長できれば、もう1日くらい延ばせたいのですが。本当に残念です。」
男性 「何故延長できないのですか?」
私   「旅行代理店でも駄目でした。」
男性 「どこの代理店ですか?」
私   「この先の広場にある代理店です。」
男性 「よし、そこに行ってみましょう。ついて来てください。」

 意外な展開に驚きましたが、悪い人でもなさそうなのでついていきました。広場の代理店に到着すると、先ほどの事務員と何やらトルコ語で会話をしています。そして、電話でギリシア人地区のキプロス航空の事務所に電話をかけ、今度は英語で私の航空券の延長の話をしました。トルコ人とギリシア人の間では、なるほど英語が共通の言葉になるのだなと思いました。

航空券の出発が延長できました

 電話を終えると、男性が私の航空券は一日延長できていると言いました。そして、紙片に、「この航空券の所有者、○○氏は、出発日を4月3日に変更済み」と英語で書いてくれました。そして、トラブルがあればこの紙片を見せるようにとのこと。

 何だか不安ですが、一応キプロス航空の事務所まで電話してくれて交渉してくれたのだから大丈夫なのだろうと思い込むようにしました。

 「ありがとう。これでこれでもう1日、キプロスを楽しむことが出来ます。」と礼を言うと、「よければ案内しましょうか?」とのこと。

 プロのガイドでもなそうだし、非常に人懐っこい感じで悪い人でもないようだし、航空券のお礼に昼食でもと考えていましたので、「そうしてくれれば嬉しい。」と答えました。

トルコ人、Alpay unlu君について

 ここで、自己紹介。彼の名は、Alpay Unlu君。トルコ人でアンカラ出身。今は、キプロスの英国人学校で国際政治学を勉強中とのこと。なんでも、ロンドンにも1年居たことがあり、その時の住まいは、ハイドパークの北側、Bayswater地区。私は、ハイドパークの南側、Kensington地区に住んでいましたから比較的近くにお互い居を構えたのでした。

 このAlpay Unlu君とは、この後も10年以上も親交が続き、後年トルコ・アンカラの自宅と転居後のノルウェイのオスロの自宅にホームステイをさせてもらいました。

 By  Jun


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コメント

Ryuさん、今晩は。Junです。
キプロスで知り合ったAlpay君とは文通で交流を続けました。通常の文通とは異なり、面識があったのが長く続いた理由だと思います。
トルコのアンカラの自宅を訪問したときは、カッパドキアやイズミル、イスタンブールにも旅行しました。この時の体験も忘れがたい思い出となっています。

投稿: Jun | 2006.06.07 21:41

YAMAMOTO 29さん、今晩は。Junです。
仰るとおり、ギリシア人もトルコ人も、私にはとても親切な人ばかりでした。ところが、色いろな歴史のいきさつからお互い対立した関係でありました。キプロスは、1974年のトルコ軍の介入により分断されましたが、私が滞在した頃は、ファマグスタのトルコ人区とギリシア人区のように混在していました。この分断により、インドとパキスタン、トルコとギリシアのように民族移動が行われ、多くの悲劇が起こったと思われます。
幸い、今ではトルコ本国とギリシア本国との間にも友好の芽が見えてきています。
元のように混在できるのか、分断のまま境界線を自由に行き来が出来るようにするのか、どのようにしたらいいのか分かりませんが、少なくとも流血の事態だけは2度と起きないようにしてほしいものです。

投稿: Jun | 2006.06.07 21:21

Junさんおはようございます。Ryuです。暑くなってきました。旅の記録(記憶)楽しく読ませてもらいました。異国で心の優しい良い人にめぐり合えるって素晴らしいことですね!更にそこから親交が深まるなんて流石Junさんです。海外旅行に行きたくなって来ました。

投稿: Ryu | 2006.06.07 06:44

Junさん、今晩は!YAMAMOTO 29です。
非常に素晴らしいエピソードですね。この国は不幸にもトルコ系住民とギリシャ系住民とでいがみ合っており、南北朝鮮のような分断国家になっているのですが、双方にもJunさんと親交があるような人情味あふれる人たちが住んでいるという事実は忘れてはならないと思います。
「韓流」がブームになりたての頃上映された映画「ブラザーフッド」を先週末に鑑賞して思ったのですが、南北の動乱により、仲のよかった者同士さえもが敵味方に分かれ戦い、次第に強い憎しみの感情を抱いていく様がよく描かれています。
そんな中でも、ウォンビン演じる弟のように、戦場という苛酷な状況の中でも良心を見失うことなく、他者に対する尊厳の念を忘れずに生き抜いてきた人物もいたことに感銘しました。
非常に悲しい事実ですが、英国やスイスのように複数の民族がうまく共存している国もあります(過去に対立の歴史があったことも事実ですが)。将来はイングランドとスコットランドの関係、あるいはスイスのカントン制のように民族同士がうまい具合に住み分けて共存できるようになればいいと思います。

投稿: YAMAMOTO 29 | 2006.06.07 01:54

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