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2008.02.04

宗像の誇り、国民健康保険制度の礎となった「定札」(常礼)

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Dsc_7901syukusyoumoji 12月までは、シーバス釣りに狂奔していましたが、とんと釣りの話題がなくなったね、とお思いの方も多いのではないかと推察しております。しかし、ルアー釣り自体は、行っております。しかし、釣れないのです、これが。

 夜な夜な、近くの漁港、津屋崎や鐘崎にメバルを求めて出没しているのです。でも、釣れない・・・・

Dsc_7898syukusyoumoji さて、福岡・宗像のあまり知られていない事柄として、鐘崎地区の正月料理として「ノウサバ」を紹介しました。今回は、「ノウサバ」以上に知られていない、しかし郷土の誇りとしてこんなことがあったのだという事を記事にしてみました。このことは、宗像市民はもちろん、地元である福津市民の方々もほとんどご存じないであろうと思います。

 それは、何と、皆様お馴染みの「国民健康保険」の発祥の地が、ここ宗像・福津市の通堂であることです。しかし、この驚くべき事実もほとんど知られておりません。地元の福津市民でも知っている人が1%あるかも疑問です。

Dsc_7888syukusyoumoji じゃお前は、何で知ったのかと言うことですが、宗像の郷土史を見ていて知りました。郷土史なんて図書館くらいしかありませんが、私の家には、父が郷土史の本を持っていましたので、それを読んだのです。

 江戸時代には、宗像地区(福津市や宗像市)の農民は、凶作が続くと医者にお金が払えなくなり、医者もそのような農民からお金をもらうのに困っていたそうです。そこで、農民たちは話し合いをして、医者にかかってもかからなくても、収入に応じた米を医者に渡し、きがねなく治療を受けられるようにしました。このことを、宗像では「定礼」(常礼)(じょうれい)と言っていました。

Dsc_7887syukusyoumoji  まさに、「国民健康保険」と同じ制度ですね。この制度は、驚くことに、江戸時代から綿々と続き、第二次世界大戦末期までに、宗像の約60の大字の内の38の大字と大島村で運営されていました。

 そのような中、1899年(明治32年)に無医村であった神興(じんごう)村の手光(てびか)地区と津丸地区の人々は、お金を出し合って両地区の中間である通り堂に「神興共立医院」を建てました。

Dsc_7896syukusyoumoji  さて、1935年頃、(昭和10年)に内務省社会局(現厚生労働省)は、当時の悲惨な農村の状況を見て、健康保険制度の検討を開始しました。そして、「常礼」の発達している宗像の情報を得て調査することを思い立ち、神興共立医院に調査官を派遣しました。

 そして、隣人愛に基づいた農村医療が理想的に運営されている実態を見て、不可能と思われていた「農村に医療保険」と言う制度が可能であると調査官は確信したそうです。このことにより、1938年(昭和13年)にわが国独特の世界にも前例のない国民健康保険制度が誕生しました。

Dsc_7892syukusyoumoji  ちなみに「神興共立医院」は、後に「安永医院」となりました。安永氏は、最後の常礼医師だったそうです。

 この「安永医院」は、私にも記憶があります。通り堂のバス停の横に、水色の2階建ての明治期の建物がありましたが、あれがそうだったのです。つい、最近まで建物自体はあったとおもいますが、今では取り壊されて、その跡地が公園になり、「国民健康制度ゆかりの地 常礼公園」となり、「神興共立医院跡地」の石碑が建っています。

 残念なのは、このような郷土の誇りを誰も知っていないこと。恐らく、宗像の小学校、中学校でも教えていないでしょう。私も、学校で習った記憶はありません。ま、よく寝ていたのではありますが。

 加えて、この常礼公園も立派なのですが、なぜか入り口が施錠されたままなのです。私は、裏にまわって入りました。

 そして、歴史的記念建造物である「神興共立医院」、安永医院の建物を何故保存できなかったかです。土地は公園になっているのですから、何故取り壊してしまったかです。隣のお店の敷地と微妙に重なっていたかもしれませんが、この建物は、いわば国民的財産であったような気がしてなりません。

 最後に、「定礼」の意味は、医者にかかってもかからなくても、経済力に応じて医者に定まった額の謝礼をすると言う意味。「常礼」は、常々、お世話になっている医者に礼を欠かしてはならないと言う意味だそうです。名もなく、学もない宗像の農民が作り出した言葉にしては素晴らしい言葉だと思いませんか。

○ 「国民健康保険制度ゆかりの地 定礼公園」

所在地 福岡県福津市通り堂バス停横  場所はここ Google マイマップ
駐車場 なし

  By  Jun

○ 国民健康保険制度の参考書籍

938年の制度創設まで立ち戻り、根源的思想・歴史的視点より国民健康保険制度の改正の展開を詳細に論じ、医療保険制度論に一石を投じる。昭和8年?23年に至る法案等の資料も多数掲載。
国民健康保険の保険者 制度創設から市町村公営までの制度論的考察 学術選書



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17 .面白トピックス」カテゴリの記事

コメント

天神コアさん、お早うございます。Junです。
この宗像の定礼の記事は、7年も前に書いたものですが、今だにコメントをいただきます。
地域の健康や幸福に大事な福祉の面で、宗像の先人がこんな制度を考えつき、実行していたのは多くの共感を呼びますね。
良いレポーを仕上げてくだされば、幸いです。

投稿: Jun | 2015.10.13 08:03

JUNさんお久しぶりです。
私、実は福祉の世界で働いているのですが、
今回社会福祉士通信課程のレポート作成の為に情報を探していて
JUNさんのブログにぶち当たるとは夢にも思いませんでした。
まさか住んでる地にこんな歴史や制度があったとは!
JUNさんの言葉も参考にしてレポートを良いものに仕上げようかと思っています。
ありがとうございましたー

投稿: 天神コア | 2015.10.12 19:28

まさみちさん、お早うございます。
Junです。
郷土史をもっと教育にとりいれてほしいですね。
自分の住んでいる地域の歴史はほとんど知らずに、東京や京都に詳しくてもどうかなとおもいます。
宗像の歴史なんてとるに足らないものかもしれませんが、自分のアイデンティティとしてはとても大事なことと思います。
東京の大学生にもこのことを伝えてくだされば嬉しく思います。

投稿: Jun | 2015.09.23 08:55

Junさんご返信ありがとうございます。そうですね、米国では「オバマケア」と銘打った健康保険加入の義務化がはじまったのは数年前で、それに比しても江戸時代の村民の知恵と互助努力は世界に誇れる日本らしい遺産と言えますよね。神興東小では生徒に教えているんですか、それは教育として素晴らしいですね(私は福間小出身ですが、教わりませんでした)。今、私も東京の医療系の大学で教鞭をとっておりますので、授業の合間にでも学生に話してみようと思います。

投稿: まさみち | 2015.09.23 00:14

まさみちさん、お早うございます。

記事をお読みいただきありがとうございます。

通堂の安永医院と国民健康保険にまつわるお話は、もっと広がっても良いと思います。

幸い、福津市の神興東小学校では子どもたちに教えているそうです。

宗像の沖ノ島が世界遺産になるとかの話がありますが、安永医院が保存されていれば、こっちの方が世界遺産にふさわしいのかもしれません。

多くの人の命が助かっているのですから。

投稿: Jun | 2015.09.19 09:21

私は、昭和41年に木造だった安永医院の2階で生まれました(親に聞きました)。恥ずかしながら、私が生まれた場所が「国民健康保険発症の地」だったということを知ったのはつい最近で、今回、Junさんのこの記事を読ませていただいてその所以がよくわかりました。私が何をしたわけでもないのですが、なんとなく嬉しく思います。このような記事を書いてくださって、本当にありがとうございました。

投稿: まさみち | 2015.09.18 15:51

torakkyさん、今晩は。Junです。
記念碑建立、ご苦労様でした。
神興東小学校で、宗像の地域の歴史として教えていることは知りませんでした。やはり、このような歴史は語り伝えていくことが大事だと思います。
福間町史の情報ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

投稿: Jun | 2008.12.24 21:21

私は縁あって、定礼公園の記念碑を建てる際に事務局を担当しました。こんな時代になると先人たちの功績は素晴らしいと思います。建立後、福津市神興東小では地域の歴史として子供たちに教えています。地域の先人たちの考えたこの制度はアメリカでもなしえていない国民皆保険制度のお手本になり、それを江戸時代からこの地で実施していたという事を語り伝えていきたいと考え記念碑の建立を思い立ちました。1口1千円で合計300万円強のお金が集まり、記念碑を建て、宗像・福津市内の小・中・高・大学・専門学校などに碑面をパネルにして贈りました。詳しくは福津市立図書館にある福間町史をご覧下さい。

投稿: torakky | 2008.12.23 23:28

she'sさん、今晩は。Junです。
返事のコメントが遅れてすみませんでした。
ゼミで宗像市の定礼の勉強をしていらっしゃるとのことで嬉しく思います。
記事の通り、宗像市でもあまり知られていない歴史ですので、その勉強をされていること自体、素晴らしいことです。
宗像市の図書館でしたら資料もあるかと思います。時間があれば、あまり資料的価値はありません定礼公園も行かれるとよいかと思います。

投稿: Jun | 2008.03.02 22:53

こんばんは!ゼミの先生に「宗像市の図書館に行って、定礼について調べてきて!」と言われました。Junさんの記事を読んで、とても参考になりました!明日か、明後日宗像市に行って調べてみたいと思っています。

投稿: she's | 2008.02.26 06:58

hanamiさん、今晩は。Junです。
「神興共立医院」が残っていないのが残念ですが、理由は不明です。公園として土地が残っているのですからとも思うのですが、バス停前のショップの土地とも関連があるのかもしれません。
恐らく、安永医院となってから安永さんの個人的な事情で建物が取り壊されたのではないかと思っていますが、いずれ調べてみたいと考えています。

投稿: Jun | 2008.02.17 20:10

 Ryuさん、今晩は。Junです。

 国民健康保険ゆかりの地と言うことは、残念ながら地元の自治体も住民も関心がないようです。

 何故なのかはよく分かりませんが・・・・
 
 病院に行くと、何故あんなに待たせるのでしょうか。病人と医者の数からすると仕方が無いのかもしれませんが、今の病院は仁術と言うより、算術を優先して、患者のことをあまり考えていないようですね。

投稿: Jun | 2008.02.17 20:04

いや~知りませんでした。
これは誇るべきことですね。 でも、何故、残っていないんでしょう。。

投稿: hanami | 2008.02.15 11:38

今日は、Ryuです。
健保発祥の地だったのですか?記事を読んで良くわかりました。もっと市がアピールしなければいけませんね!健保のシンポジュームは宗像市で…と言う感じで!
しかし、今の医療環境、医療の原点を忘れているような気がします。大きな病院、1時間も2時間も待って、医者との話は数分です。忙しいのもわかりますが、心が通っていないのではと思います。我輩は近所の診療所を主治医にすべく目論んでいます。

投稿: Ryu | 2008.02.04 17:15

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