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2008.10.26

トルコ・イスタンブール旅行記 ボスポラス海峡クルーズ

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2008年9月7日(日)

 トルコ・イスタンブールの旅行記です。今回は、ボスポラス海峡クルーズ。

 世界一短い地下鉄に乗ってカラキョイの駅で降りました。ここから、トラムバイ(路面電車)に乗って出発。行き先は、ボスポラス海峡クルーズの出発港のエミノニュ。

Photo

 途中、ガラタ橋を渡りましたが、橋の上は釣り人でいっぱい。フィッシングを趣味とする者にとっては、興味津々でした。

 このクルージングは、アルパイ君の発案なので当時の私にはほとんど情報がありませんでした。

ビデオ ボスポラス海峡クルーズ (音が出ます)

 ちなみにボスポラス・クルーズとは、エミノニュの港から出て、ボスポラス海峡を北上し、主にヨーロッパサイド側沿いにいくつかの港に立ち寄り、アジアサイドのアナドル・カヴァウまで行くのですが、そこまで行くと帰りが大変なので、ヨーロッパサイドのどこかの港で下船して、陸上の交通機関でイスタンブール中心部に戻るのが一般的です。

 乗船前の船着場で、アルパイ君は、チョッと戸惑っていたフランス人の二人連れに親切に、帰りの交通機関のアドバイスをしていました。アルパイ君は、話好きで世話好きなので、すぐに誰にでも話しかけます。

 船に乗り込みました。どこかで見たような船だなと思っていると、アルパイ君の説明によるとこのタイプの船は、イギリスのリバプールで建造されたとのこと。そう言えば、香港にも同じようなタイプの連絡船が走り回っていますので、香港の船もリバプール製なのかもしれません。

 風景を楽しみながらクルージングしますので、アルパイ君はキャビンではなく、見晴らしの良いデッキに行こうとしましたが、デッキで座れる所は満杯。仕方が無いので、最後尾のデッキで立つことにしました。当然、ヨーロッパサイドを見ることができる、左側です。

 船は動き出しました。ガラタ橋の釣り人を見ながら。

 しかし、海から眺めるイスタンブールの街並みの美しさは圧倒的なものがありますね。この眺めは、絶対に高層建築などで邪魔されたくないと思いますが、時代の流れもあり、難しいところでしょう。

 エノミニュを出ると、巨大な客船が出迎えてくれます。イスタンブールは世界的にも有名な巨大クルーズ船が立ち寄り港で、当日も英国のセレブリティ社のギャラクシーが停泊していました。

 

 ビデオで、横から話しかけてくるオバサンは、ヨルダン人の方で、アルパイ君が私に説明してくれているのを、横から聞いていて、時折、チャチャを入れてくるのが、ビデオでも記録されています。

 次の見所は、ドルマバチェフ宮殿です。この宮殿の陸側は、殺風景な高い塀で囲まれていますが、海側は、ビデオでご覧の通り、白亜の綺麗な建物が楽しめます。実は、宮殿を訪れた各国の賓客も、ボートで海側に乗り付けていて、玄関は海側にあるのです。

ここは、初代大統領のアタチュルクの住居、そしてなくなった場所としても有名です。アタチュルクの話は、いずれしたいと思いますが、トルコ共和国の建国の父、アタチュルクは「トルコの父」の意味です。アルパイ君も、ここで彼が亡くなったと説明しています。

 ドルマバチェフ宮殿の後には、古いオスマン帝国時代のボート乗り場を見たりしました。やがて、ボスポラス海峡にかかる大橋、第一ボスポラス橋です。

その手前に、実に美しい小さなモスクがあります。名前をオルタキョイ・ジャーミイといいますが、内部もピンク色で彩られ、繊細な美しさで評判だそうです。

ボスポラス大橋は、日本政府の開発援助で、石川播磨や三菱重工により建設されたようです。

 建設当初には、イスタンブールの景観を損なうと言うことで反対意見も多かったようですが、パリのエッフェル塔と同様、今ではボスポラス海峡に無なくてはならない存在となっているようです。

 第二ボスポラス大橋を過ぎると、ヨーロッパサイドには豪華な大邸宅が延々と続くようになります。これらは、オスマン帝国時代の大商人や官僚が住んでいた地域で、ドルマバチェフ宮殿同様、海側が邸宅の玄関となっています。

アルパイ君の話もあるように、これ等の邸宅は、今では大金持ちの夏の別荘用となっており、千万ドル単位の価値があり、この地域がイスタンブールでも最上の住宅地と言うか、保養地と言うか、兎に角庶民には雲の上のようなものであります。

Kinkaku

 また、ビデオの途中で、私が、船の山越えの質問をしていますが、これは、1453年のコンスタンチノープル(旧イスタンブール)陥落の際、メフメット2世が取った奇策、トルコ艦隊の山越えの場所を聞いています。

Mfmed23  当時、東ローマ国側は、金角湾を鉄の鎖で封鎖していました。そこで、メフメット2世は、金角湾の北側の陸地(ジェノヴァ人居住区があったガラタの外側)に油を塗った木の道を造り、それを使って陸を越え70隻もの船を金角湾に移す作戦に出ました。「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれるこの奇策は成功し、コンスタンチノープル陥落の一助となった話です。

 コンスタンチノープルの陥落の様子は、塩野七生氏の「コンスタンチノープルの陥落」をご覧になるとよく分かる上に面白いと思います。

下の画像が、サラボナ号です。アタチュルク大統領のヨットですが、現在はトルコの金持ちの所有ですが、その富豪はイラクで誘拐されて行方不明だそうです。何かといわく付の人物のようです。

Savarona10

 次は、カンルジャのヨーグルトです。 Kanlica_yogurt_2

 ボスポラスクルーズでカンルジャに寄港すると、船内でヨーグルトを売り始めます。アルパイ君が、名物だからと買ってくれたのですが、普通のヨーグルトで格別に美味しいものではありません。

 通常は、粉砂糖をかけて食べるようですが、船の中でもあり粉砂糖はありませんでした。

 なお、右側の画像は、私が撮影したものではありません。参考として、掲載しております。

 また、スライドショーの中では、カルンジャと表記しておりますが、カンルジャが正しい地名です。

 クルージングの最後は、サルイェルで下船しました。もう少し行けるのですが、次の寄港地はアジア側で、帰りのバスが不便なのでここで船を下りました。

 船着場の職員と例によって、アルパイ君は話していたのですが、急にその職員が、今日はイスタンブールの広島、長崎のメモリアルデイと話してくれました。

 トルコは、大変に親日的ですが、さすがにこの話に私はビックリし、かつ感動してお礼を言いました。今回のボスポラスクルージングは、晴天にも恵まれて最高のクルージングとなりました。

トルコ・イスタンブール ボスポラスビューもできるホテル ランク順リスト 
ヒルトン (bosphorous View)。 リッツ・カールトン (サイド・ボスポラス・ビュー)。 他

海外旅行のホテル、航空券、パック旅行の空き検索や予約が簡単にできるシステム

イスタンブールをもっと知るための本 売れている順リスト 
「地球の歩き方(E 03(2010~2011年) イスタンブールとトルコの大地」。  「イスタンブール路地裏さんぽ」。 他


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2008.10.20

トルコ・イスタンブール旅行記 インカホテルとクラシックカー

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2008年9月7日(日)

 6時に起床。私は、日本でもいつも朝6時に起きています。映りの悪いテレビを見ていると、こんな時間にドアのノック。出てみると、ホテルのスタッフが新聞を持ってきていました。トルコ語だと駄目ですが、英語なので、気の利いたサービスだなと思いつつ受け取りました。

 8時になり、昨夜、アルパイ君とロビーで待ち合わせの時間なので下に降りていきました。すると、ロビーにはいませんでしたので、部屋にレセプションから電話を入れると、上がってきてくれとのこと。

 ノックして部屋に入ると、パジャマ姿でパソコンをしていました。やがて着替えて、ロビーに下りていきました。ロビーには、二人の女性がいました。アルパイ君が気さくに話しかけると、二人の女性は、キプロスのファマグスタから来ているとのこと。

 アルパイ君は、私を紹介して、私たち二人は1974年にキプロスのファマグスタで知り合ったのですよと言ったことをトルコで教えたようです。二人の女性も感心していました。

 その後、ホテルの1階の奥にある食堂へ。ビデオでもあるように、今朝のスタッフが持ってきてくれた新聞が話題に。

 ここのホテル代は、朝食付きなのですが、このホテルの朝食はこれっきり。後は、近くのボレク(トルコの料理の1種、後述します)を出すお店に行くことになりました。ホテルの朝食は、パンとサラダだけ。さすがに、これでは外で食べようかと言う気になります。

ご注意 ビデオは音が出ます。

 朝食後、アルパイ君の発案で今日は日曜日という事で、ボスポラス海峡クルーズに出かけることにしました。もっとも、今回のイスタンブール滞在の日程は、全てアルパイ君に任せています。

 ホテルを出て、イスティクラール通りに出て、南に歩いていくとイスティクラール通りの端、エンドに着きます。そこは同時に、新市街、ホテルのある地域一帯が新市街と言うのですが、新市街を走る路面電車(トラムバイ)の終点の駅でもあります。

 この路面電車は、1両編成でチンチンと音を立てて走る、いわゆるチンチン電車です。とても風情がある電車なので、コンパクトデジカメでビデオ撮影していると海老茶色のクラシックカーがありました。

 アルパイ君いわく、古いナンバープレートを付けており、アメリカのパッカードだろうとのこと。しかし、よく見てみると、ボンネットの所にプリムスの表示があったので、プリムスと判明。

 何のための撮影か良くわかりませんでしたが、チンチン電車とプリムスを撮っているようでした。

 

 

 撮影現場のすぐ近くに、世界最短の地下鉄 チュネル(Tunel)があります。これはトルコ語でトンネルの意味だそうです。チュネル駅からカラキョイ駅までの500mをわずか3分ほどで結んでいます。

 1869年の開業ですから、世界最初のロンドン地下鉄が1863年ですから、ユーラシアで最初の地下鉄です。

 

 地下鉄とは言っても、実は地下を走るケーブルカーでその傾斜は相当なものがあります。この地下鉄にも、イスタンブールにいる時は、相当お世話になりました。料金は、100円いかない位です。

ボスポラス海峡クルーズは、エミノニュから出港するため、カラキョイまで、このチュネルで行き、そこからトラムバイ(路面電車)でエミノニュに行きました。

By Jun

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2008.10.17

トルコ・イスタンブール旅行記 遂にアルパイ君と再会! 

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 2008年9月6日(土)

 無事午後8時頃、飛行機はイスタンブールのアタチュルク国際空港に着陸しました。思えば、1980年頃にイスタンブールに来てから、もう四半世紀になります。街の様子は変わっているのでしょうか?

 そんな感慨に耽る暇も無く、入国の手続きです。入管のブースは、トルコ人と外国人に別れていましたので、外国人用に並びました。しかし、アジア人や白人は少なく、大部分が中東やアフリカの人のようです。一種異様な感じもしました。その中にも、日本人らしきグループもチラホラ。

 割と簡単に入国手続きを終え、スーツケースも早めに出てきました。後は、税関なのでしょうが、それらしきも見えず、出口へ。

 アルパイ君とは、手荷物受取所の出口の所で、待っているからとメールで連絡していましたので、出口を出てキョロキョロすると、すぐにアルパイ君を確認できました。

 実は、アルパイ君は、最近の自分の写真を送ってくれていたのでした。長い間にすっかり変わってしまっていて、多分、会っても分からないだろうからとの事でした。

 その写真を見て、私も驚愕しました。25年前の面影は一切無く、これなら偶然同じテーブルに座っても絶対に分かりっこないだろうなと思いました。アルパイ君だけでなく、私も見る影も無く変わり果てています。私の写真はアルパイ君には送りませんでした。会ってからのお楽しみというメールは送りましたが。

 なお、次のスライドショーの1974年頃の写真は、今回、アルパイ君がイスタンブールに持参してくれたものです。貴重な写真で、私がカメラに記録したのをとても喜んでいました。最後から2枚目、パーティの写真が、福岡出発前、待ち合わせ用としてメールに添付してくれたものです。この写真を見て、私は本当に驚き、かつ年月の重さを思い知らされました。

次のスライドショーを再生すると音が出ます。

 

 お互いに握手をして25年ぶりの再会を喜び合いました。しかし、空港の前は気ぜわしく、ゆっくり話すこともできませんので、バスの方に移動することにしました。シャトルバスが、すぐ近くに停車していました。

Photo_2  スーツケースをバスの車体に入れてもらって、乗車。一番前の席に二人並んで座りました。やがてバスも発車。夜の道をバスは走っていきます。途中、古い城壁の横を通り、ローマ時代の水道橋をくぐったりしました。

 金角湾にかかる橋、ガラタ橋を渡りました。この橋は、前回イスタンブール訪問時にも行きましたので記憶がありました。アルパイ君に、「アジア側に来たね」と言いましたら、「いや、ここはまだヨーロッパ側」と返事がありました。

Sm_2  ガラタ橋を渡ってすぐに坂道のような所で、バスが停まりました。どうも、アルパイ君がバスの運転手にここで停まるように言ってくれたみたいでした。スーツケースをバスから取り出すと、アルパイ君はタクシーを止めようとしていました。ホテルはここから遠いのかと尋ねると、すぐそことのこと。

 「じゃ、歩いていこう」と私が言うと、スーツケースが重くないかと聞かれましたが、重くないと答えて歩くことに。 坂道を歩いていくと、急にアルパイ君が、改装中の建物を指差して、「これが、有名なペラ・パラスホテル、アガサ・クリスティーがオリエント急行殺人事件を執筆した所」と説明してくれました。 

Photo_3  私も、クリスティーがイスタンブールのホテルで書いたことを知っていましたので、ここがあの有名なホテルかと思いました。

 しばらく歩くと、今回のホテル、ホテル・インカに着きました。旧アメリカ領事館の前です。小さなホテルです。すぐにレセプションでチェックインしました。アルパイ君は、前日から宿泊していて202号室。私は、403号室です。

 部屋から部屋への内線電話のかけ方を聞くと、部屋から部屋への直通は無理で、レセプションにかけると相手の部屋につなぐとのこと。

 荷物を置いて、30分後に会おうと言うことになり、私は荷物をもって部屋へ行こうとして、エレベーターに向かいました。ところが、ここのエレベータのドアは、手動式で自分で開けなければなりません。イスタンブールのエレベータは、この方式が多いようです。

 待ち合わせの時間が、近づいたので、レセプションに電話しようとしますが、うんともすんとも言いません。電話の回線を調べてみるとものの見事に壁のコンセントから回線が切れています。しょうがないので、レセプションに降りて、アルパイ君の部屋に電話をかけると、部屋に上がってきてくれとのこと。

 アルパイ君の部屋に入ると、ベッドの横の椅子に載せたパソコンの操作中。横に座ると、いきなり、無事着いたことを日本の奥さんに電話しようということになり、自宅の電話番号を聞かれました。スカイプ(インターネットを使用する電話)に接続しているので、電話代は無料とのこと。なかなかつながりません。やっとつながっても、応答がありません。

 あとから良く考えてみると、イスタンブールの午後9時半ごろにかけたのですが、その時間は日本では夜中の4時頃。出るはずがありませんし、応答があったら大目玉をくらう所でした。

注意:次のビデオは音が出ます。

 夕食を食べようと言うことになり、ホテルを出て、イスティクラール通りに出ました。ここの通りは、後日、毎日、しょっちゅう歩くことになりました。

Sm_3  11時過ぎと言うのに、本当に人通りが多くて、混雑していました。アルパイ君は、建物のことをよく知っていて、これがギリシア領事館、こちらはアルメニア人の学校と言う風に説明してくれました。特に、古い建物は、アール・ヌーボーなどの様式も知識が深く感心しました。

 午前零時前に、アルパイ君お目当てのレストランに行きましたが、もう閉店するとのこと。しかし、開店は午前3時。と言うのも、丁度トルコは、断食の期間、ラマダンに入っていて変則的な営業時間になっていました。

 しょうがないので、ドネルケバブ、羊の肉等を回転する棒に巻きつけて焼く料理の店に行きました。ファーストフードのようなもので、ドネルケバブををパンに挟んだものを受け取り、2階に上がって食べました。

 食事後、イスティクラール通りの裏通り、ホテルの近くの通りを散歩しましたが、午前零時を過ぎても、通りの上の食堂やレストランは、人でいっぱい。テーブルの上で女性たちが踊ったり、通りでもあちこちで踊ったり、歌ったりの大騒ぎ。本当にイスタンブールはエネルギッシュな町です。

 ホテルのホンの近く、広場みたいな所にタクシーの運転手がたむろしていました。そこに1匹の犬がいました。アルパイ君は、あの犬は以前、弱っていたので、タクシーの運転手たちに面倒を見てもらえないかと頼んだと話し出しました。

 アルパイ君は、タクシーの運転手たちとも気さくに話したりしていましたが、当の犬はアルパイ君の顔も忘れたかのようにジッとしていました。なかなか心温まる話ではありませんか。

 そんなこんなで、午前1時頃にホテルに戻り、ベッドに入りました

ホテル・インカのホームページ http://www.inkahotel.com/

By Jun

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2008.10.14

トルコ・イスタンブール旅行記 福岡出発からイスタンブール到着まで 34年前の想い新たに、

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 2008年9月6日土曜日

 いよいよイスタンブールへ向け出発の朝。6時頃起床しました。いつものように、朝食をとった後、7時頃に家を出ました。

 買ったばかりのスーツケースとショルダーバッグ。新しいので、スーツケースも快調に道路を転がっています。いつもの通勤と異なり、今朝はエレベーターで改札口へ。

 電車の中でも、土曜日で空いていますが、スーツケースがあるために立つことに。博多駅で降りて、地下鉄へ。丁度、空港行きが来たので乗車。乗車してしばらくすると気づきました、あれ、これは国内線のターミナルに着くなと。

 私の飛行機は当然ながら、国際線。しかし、国内線ターミナルからは無料のシャトルバスが国際線ターミナルへと出ています。博多駅からは、バスセンターから国際線行きのバスが出ていたと思いますが、地下鉄で国内線ターミナルに行っても、時間はたっぷりありますのでノープロブレム。

 地下鉄は、国内線ターミナルに着き、私はエレベーター等を使って地上へ。シャトルバスが待っていたので早速乗車。結構、乗客も多い。

 無事、シャトルバスは国際線ターミナルに着き、文書で指示されていたHISのカウンターへ。若い女性が一人で対応していましたが、HISから貰っていた予約の確認文書を手渡すと、航空券を渡してくれるのかと思っていると、また、A4のフライトスケジュールを書いた文書が1枚手渡されました。

 これを持って、大韓航空のカウンターでチェックインしてくれとのこと。てっきり、例の横長いカーボンコピーの航空券一式を貰えるものと思っていましたので、少々面食らいました。

 どうも、パスポートの氏名、生年月日等の情報で私のフライトは、コンピューターで管理されており、航空券を持たせる必要がなくなっているようでした。HISが、予約段階からしつこいくらいパスポートの記載の氏名と間違いがないか確認していたのは、このためのようです。

 KALのカウンターで、窓側座席を希望してチェックインは無事終えました。出国のゲートが混まないうちに、出国しました。1時間くらい、飛行機に乗り込む時間があったので、その間に売店で目覚まし時計を買いました。

 時間があるので、携帯電話でアルパイ君宛にメールを打ちました。今、福岡空港で飛行機を待っているとの内容ですが、実は、アルパイ君もノルウェイのオスロ空港を発つ時にメールを送ってくれていました。このメールをアルパイ君は、受信できていたようです。

 しばらくすると登場案内があり、ゲートに向かいました。搭乗の飛行機は、10時30分初のKE0788便です。機材は、A330-300(エアバス社)の300人乗りです。

 機内は結構込んでいましたが、ほぼ定刻通りに離陸。しばらくしてすぐに、軽食のサービスがありました。やがて、高度を下げだして、無事、12時頃インチョン国際空港に着陸しました。

 トランジットですから、空港から出ずに待ち合わせ。インチョン空港は、ハブ空港でもあり、乗り継ぎロビーのショッピング、レストラン街は規模が大変大きいものです。

 イスタンブール行きの乗換の飛行機は、午後2時20分発ですので、インターネットコーナーや伝統芸術コーナーなどを見て回りました。  

 イスタンブール行き、KE0955便に搭乗する時間となりました。機内は、それほど混んでいなくて、隣の席も開いており、、中央の6席くらいでも、一人しか座っていませんでした。機材は、福岡・インチョン間と同じA330-300です。

 離陸後、しばらくしてカクテルタイム。私は、バドワイザーを一缶いただきました。ピーナッツをつまみに飲めない私でもゴキゲンなひと時です。

 やがて機内食の時間です。私は、元来、機内食大好き人間でして、機内食は大きな楽しみの一つです。しかも、大韓航空名物のビビンバが食べられるのですから。この機内食ビビンバは、機内食業界でも栄誉あるマーキューリー賞を受賞しているほどです。

 なお、下のスライドショーを再生すると、BGMとして音が出ますので、ご注意ください。また、カメラの内蔵時計を時差に合わせていませんので、表示される時刻は意味がありません。

 正直言って、機内食で石焼は願うべくでもないのですが、温かいライスにビビンバの食材と豆板醤を混ぜ込むだけですから、いくらマーキュリー賞でもビックリするほどではありません。むしろ機内食でビビンバという発想を讃えるべきでしょう。

 食事後は、映画タイム。上映されたのは、インディアナ・ジョーンズシリーズの最新作、クリスタルスカルでした。韓国語訳と日本語訳が、ヘッドフォンを通じて流れていました。

 その後、昼寝をして起きたら、イスタンブールも近くなっており、ここで2回目の機内食。今度は、私は白身魚をチョイスしましたが、これも味はまあまあ。しかし、エコノミーの機内食も、金属製のナイフ・フォーク、陶器風のプレートなどだいぶ改善されているようです。  

 コーカサス山脈を抜け、トルコのアナトリア高原が見え出しました。夕暮れも迫っており、なかなかの風景。やがて、機はどんどん高度を下げ、ファイナルアプローチへ。眼下には、島々も見えていました。

 これらが、後日訪れることになるプリンスィズ諸島とは神のみぞ知る由もなし。。

 夕映えのイスタンブール市内を見ながら、飛行機は無事ほぼ定刻の午後8時頃に着陸しました。飛行場には、アルパイ君が待っていてくれるはずです。

By Jun

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2008.10.11

トルコ・イスタンブール旅行記 旅の動機と準備  34年前の想い新たに、

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  9月の初めから10日ほど、トルコのイスタンブールに行ってきました。久しぶりの海外旅行で戸惑うこともありましたが、何とか無事に帰って来られました。

 今回の旅の目的と準備について書いてみましょう。そもそも何故イスタンブールなのかと言うと、それは34年前にさかのぼります。 

 1973年の秋から私は、半年ほど英国を中心にヨーロッパを旅行しました。詳しいことは、このブログのカテゴリー 「’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記」に、未完ながら書いております。

 1974年の春、学生のヨーロッパ鉄道周遊券であるスチューデントパスが失効した後、私は、ギリシアを経由してキプロス島に渡りました。ロンドンでの英会話学校で知り合った人達がキプロス島出身のトルコ系の人たちであったことが、キプロスに行った大きな理由です。

 そのキプロス島の港町、ファマグスタで一人のトルコ人青年と出会いました。彼の名は、アルパイ・ウンリュウ君。トルコのアンカラから、キプロスの学校に留学していたのでした。
 キプロス島でのアルパイ君との楽しい珍騒動を書いた記事を、この記事の最後にリンクしておりますので、ご覧ください。

 その後、僅か2ヵ月後の6月には、トルコ軍がキプロスに侵攻しましたが、アルパイ君は無事、トルコ本国に帰国となりました。

 下のスライドショーは、1974年4月にキプロスで撮影したものです。BGMがあり、音が出ますのでご注意ください。

 

 

 

Istanbulandcyprus_3

 

 たった、2、3日間しか会わなかったのですが、帰国後、文通が続きました。そして、1980年頃、私はトルコの首都アンカラの自宅へ彼を訪ねて行きました。しかし、その1週間前に急用で彼はロンドンに。そのため、留守宅で彼のお母さんと奇妙なホームステイ。私は、その際、アンカラからカッパドキア、イズミルそしてイスタンブールへと旅をしました。

 1984年に私は、ノルウェーのオスロに住むアルパイ君の自宅を訪問しました。その時は、さすがに再会することができました。

 その後も文通は続いたのですが、いつしかそれも自然と消滅・・・・。

 ほとんど忘れかけていた頃、ひょっこりと彼からクリスマスカードが届きました。私も返事の手紙を書いて、また文通の再開。しかし、現代には電子メールと言う便利なツールがあります。メールをやり取りしているうちに、彼は、体調が思わしくなく、それで早めに仕事をリタイヤしたと分かりました。

 それで私が、何気なく、見舞いがてら会いたい旨のメールを出すと、彼も是非会いたい、何時オスロに来るのか?との返事。彼も体調が悪いことだし、この機会を逃すと、ひょっとしたら会えなくなるのかもしれないし、お見舞いがてらにと私も本気に思うようになり、メールのやり取りの後、9月にイスタンブールで会おうと言うことに。

 何故、自宅のオスロではなくて、イスタンブールかと言うと、アルパイ君はイスタンブールの医者にもかかっており、結構、頻繁にイスタンブールに行っていること。トルコ人のアルパイ君は、ノルウェイ・オスロには見るべきものはなく、トルコの誇るイスタンブールこそ私と会うにふさわしい場所だと考えていたからです。

 このような動機と目的の旅ですから、当然、旅行会社のツアーに乗っかるわけにはいきません。個人の海外旅行は、最低、旅券とビザ、航空券とお金を準備すればいいわけです。旅券は、2年間の有効期間が残っていますし、ビザは必要ありません。押さえるべき最大のポイントは航空券です。

 正規の航空券は、馬鹿みたいな値段ですので、ほとんどの個人旅行者は、いわゆる格安航空券を手配することになります。ネットで手配することも可能だと思いますが、なにしろここ最近、海外には行っていませんので、それも面倒だと言うことで、格安航空券の大手旅行会社 エイチ・アイ・エス(HIS)にお願いすることにしました。

 6月のある土曜日の午後、福岡市天神にあるHISの営業所に行きました。9月の初旬から連休をかませてイスタンブールに行きたい旨を告げると、早速、色々適当なフライトを探してくれました。

 関空や成田からだとフライトも多くて予約しやすいのですが、福岡発のフライトだとかなり安く上がるので、大韓航空(KAL)を中心に探すと、福岡発のソウル・インチョン経由でイスタンブール往復のフライトがありました。

 ただし、9月6日福岡発で9月15日福岡着と9月6日発、9月14日福岡着があり、9月15日福岡着のほうが安いがキャンセル待ち、9月14日福岡着は一日短くなっておまけに航空券代が高いとのこと。

 とりあえず、9月14日福岡帰着の高い方で押さえてもらって、9月15日着の安い方はキャンセル待ちにしてもらいました。時々、電話で状況を聞いていましたが、なかなか9月15日帰着は取れませんでした。しかし、出発の2週間くらい前に9月15日帰着分が確保できたとの連絡がHISから入りました。

 9月6日福岡発、9月15日福岡帰着で、ソウル・インチョン経由の便で、燃料サーチャージを含めて約20万円となりました。

 後は、通常ホテルの手配となりますが、元来私は、ホテルの手配はしないのですが、今回は、アルパイ君が、イスタンブールのペラ地区のインカ・ホテルを手配してくれました。アルパイ君のイスタンブールの定宿だそうです。

 今までの旅行では、これで出かけたわけですが、今回はそうはいきませんでした。つまり、携帯電話とパソコンをどうするかです。

 私のau携帯電話は、海外で使用できませんが、内蔵のICカードをレンタルの携帯に差し込めば、私の電話番号やメールアドレスはそのまま使用できますので、レンタルすることにしました。

 問題は、パソコンです。まず、トルコの回線状況が不明です。インカホテルにメールで回線状況を照会しましたが、なしのつぶて。アルパイ君にもメールで聞きましたが、これまた無回答。イスタンブールにはインターネットカフェもあるようだくらいの情報しかありませんでした。

 あ、それに、私のノートパソコンは大きすぎるし、無線ランも使用していません。それに、そもそも海外で何のためにパソコンを使用するかですが、あれば便利だろうなくらいです。

 小春パパさんに聞いたり、ヨドバシカメラにミニノートパソコンを見に行ったりしましたが、結局は時間切れ。このパソコンの問題は、後で折りにふれて話したいと思います。

(参考)

○アルパイ君とのキプロス島での出会いの記事

・アルパイ君との出会い
http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/70_bb13.html

・アルパイ君とファマグスタのトルコ人地区へでかける
http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_c3c8.html

・アルパイ君の知り合いの警察署長から留置場への招待
http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_c3c8.html

・アルパイ君の自動車運転教室
http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_bbc6.html

・アルパイ君と農村での実弾射撃騒動
http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_4628.html

○アルパイ君からの手紙の記事

http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c101.html

By Jun

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2008.10.08

福岡・宗像のヨシダ釣具 宗像店の大川店長が釣ビジョン、「ギアステ」に出演

 ここ福岡県宗像市近辺には、主な釣具屋さんが3店あります。宗像市のヨシダ、福津市のヤナイ、スミトモです。他にも、もちろんありますが、主な特にルアー関係では、この3店といって差し支えないでしょう。

 ルアー釣りの釣具関係がもっとも充実しているのは、ヤナイでしょう。2階のフロアーが全部ルアー釣です。その次は、ヨシダ。ヤナイに比べるとかなり狭い面積です。スミトモは、そもそもルアー釣には関係ないといった雰囲気で、面積、品数ともに最小です。

Imgp1222sm  じゃ、ヤナイが一番いいのかというと、確かに面積、品数では圧倒的ですが、ルアー釣への情報の出し方、店員のサービスと言うと、ヨシダの方が勝っているようです。

 私が、シーバス釣りをはじめた時、ルアーについてまったく知識が無い時に、ヨシダの店員さんは、親切に教えてくれました。博多湾のシーバス釣なら、レンジバイブが一番ですよと言ってくれたのもヨシダです。

 釣具店と言うのは、面積や品数も大事ですが、それ以上に情報発信機能のほうがある意味大事で、釣具店選択の最大ポイントと言っても差し支えないでしょう

 ところで、CSデジタル放送の中に釣ビジョンというチャンネルがあります。24時間釣番組を放送するコンセプトのチャンネルで、私もよく視聴しています。その釣チャンネルの番組の一つに「ギアステーション」、縮めて「ギアステ」があります。

 人気の出てきている、つるの剛史さんがメインの司会をしている番組ですが、この一つのコーナーに「俺に訊け」というものがあり、全国の釣具屋さんに電話インタビューをしているのですが、これに何とヨシダ釣具店の大川店長が出演していましたので、ビデオで紹介しておきます。

ビデオは削除しています;

 この大川店長は、気さくな方でよく相談にものってくれますので、何か分からないことがあれば聞いてみてください。

○ヨシダ釣具 宗像店  

宗像市東郷3-3-2    場所はここ Googleマイマップ
0940-36-3780
営業時間 平日 6:00~22:00
       土曜 
4:00~22:00
         日祝 4:00~22:00
休日    なし
駐車場   あり

By Jun

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2008.10.05

ハウステンボスヨットレース 平戸港~福岡小戸ヨットハーバーへの回航

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 ヨットのキャビンの中で眠ることで、いちばん大変なのは暑い夜の時です。基本的には、エアコンなど装備されていないのが、普通ですし、水密の関係から窓は小さいしで蒸し風呂のようになります。

Imgp0423sm そうなると、一番居心地の良いのはデッキになりますが、夜中に雨が降ったり、風が強く吹いたりで、これはこれで大変なことがあります。

 8月の30日の夜は、比較的涼しい夜でしたので、私はぐっすり眠れました。それと、暑さもそうですが、港に停泊しているヨットでは、他の船の引き波による揺れも結構きついものがあります。

 例えば、佐賀県の呼子の港では、漁に出る漁船の引Imgp0422sm き波で、ヨットが派手に揺られて、閉口した記憶があります。その点、ここ平戸港は、そのような引き波も少なく快適です。

 なにより、桟橋を無料で開放しているのも親切です。桟橋から、飲食店やコンビニも近くて便利です。次回からは、平戸寄港も検討に値すると言う話も出たほどです。

 早朝、起床して桟橋に出てみると、二人の方がスリーピングバッグで眠っていました。一緒に係留しているヨットの方々です。この桟橋は、屋根も付いているので、雨の心配も不要で誠に具合良さそうです。

 ギャレー(ヨットの台所)で、お湯を沸かして、コーヒーを淹れて朝食。サンドイッチやソーセージですが、この温かいコーヒーが何よりのごちそうです。

 朝食を終えて、隣に係留していたヨットの出港を見送った後、私達も出港しました。昨夜来、風が強く、寝る前には秒速9mくらいの風が吹いていましたが、今朝も少し風邪が落ちてはいるようですが、かなり強い風が沖では吹いているようです。

 昨年のハウステンボス回航は、風が強かったものの追い風でしたので、かなり楽に、そして快速で小戸まで帰り着きました。

 今朝の風は、向きが悪く、小戸に向かうヨットの正面から吹いていました。案の定、平戸瀬戸を抜け、玄界灘に出る場所で、かなりの悪い波に遭遇しました。潮の流れと風向きが逆方向なので三角波のようなきつい波が立っていました。

 荒い波を避けるように、右に回頭し、灯台の右横をすり抜けるようにして玄界灘に出ました。

 しばらくは、荒い波と格闘しましたが、やがて広いところに出ると波も落ち着きを見せ、比較的安定した走りとなりました。

Imgp0440sm  風は、相変わらず福岡の方向から吹いていましたので、帆走ではなくて機走つまりエンジンのみで小戸を目指しました。すると、突然エンジンの異常音がでてきました。平戸の瀬戸のエンジンストールの再開のようです。

 エンジンが停止しましたので、何とか起動を試みますが、エンジンが停止したままです。停止の原因もエア咬みなのか、燃料系統の不具合なのか不明のまま。

 しょうがないので、帆走することにしてメインとジブセールを揚げました。機走の時のように一直線に福岡を目指すことはできなくなりましたが、風が強いので快調な帆走となりました。

 唐津湾を抜け、糸島沖を航走して、博多湾口へ。波静かな湾内でしたが、風は相変わらず強くて相当なスピードが出ています。

 能古の島を通り、マリノアに向かいます。マリノアは、ヨットやプレジャーボートが係留しているマリーナで、ここで給油や給水を行います。ついでにヨットのデッキの清掃をして、ハーバーに向かい、平戸からの回航を終えました。

 なお、8時30分ごろ平戸港を出て、15時頃小戸沖に着きましたので、6時間半くらいで回航したことになります。

By  Jun

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2008.10.02

ハウステンボスからの回航、平戸で豪華夕食とともに一泊

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 8月24日にハウステンボスカップレースが終わりましたがヨットを置いたまま福岡に帰りました。 レース終了が昼過ぎとなり、帰れないことはないのでしょうが、西海橋や平戸の潮具合、福岡帰着が真夜中になることから現実的ではありません。

 そのような訳で毎回、翌週にハウステンボスから福岡小戸まで回航してきました。私も、毎回、ハウステンボスから乗船して、福岡小戸までの開講に参加して きましたが、今年は、諸般の事情から途中参加になりました。

 ヨット仲間のKさんとOさんが、8月30日の午前11時30分頃、ハウステン ボスマリーナを出港し、午後16時30分頃平戸港に入港予定と言うことで、私 とMさんは、平戸港で合流することにしました。  

 私とMさんが、福岡市天神のバスセンターから高速バスとローカルバスを乗り継いで、 平戸に到着したのが、18時頃。桟橋に行ってみると、すでにヨットは係留して いました。

 先行のKさんとOさんから、ハウステンボスから平戸までの回航状況を聞いてみ ると、風は、少しあったが波もそう立たず、比較的海況は、悪くなかったとのこ と。ただし、平戸の瀬戸で、急にエンジンがストール、つまり止まってしまった との話がありました。

 平戸の瀬戸は、潮の流れが速いので有名ですが、丁度、潮止まりの時間だった ので事なきを得たとのこと。原因は、不明だが、しばらくするとエンジンが起動 し、それ以降は何ら異常が無く、平戸の桟橋に着けることが出来たとのこと。

 しばらくして、お風呂の後、夕食を取ろうと言うことになりました。Mさんの提 案で「ひろさち」という所に行くことにしました。

 Mさんが、何度か行ったことのある魚料理屋さんで、以前は桟橋の近くにあった ものですが、平戸島の奥の方に移転したとのこと。

Imgp0409sm  タクシーで行くことにしたのですが、片道4000円かかるそうです。帰りは 、料理屋さんのご主人が送ってくれるとMさんが交渉してくれました。

 タクシーで行きましたが、こんな山道の奥に人家があるのかと言うくらいの所 に、電飾で光り輝く「ひろさち」がありました。  奥の畳の部屋に通され、ご主人が出てこられましたので、注文をしました。

Imgp0387sm  やがて出てきた活き作りは、大変見事なものでした。驚いたのは、マゴチの活 き作りが出されたことです。私も、マゴチの刺身は初めての経験でした。これが 、美味いの一言。 その他にも、平戸の海の幸がてんこ盛り。全て新鮮です。と いうのもご主人は漁師で自分の船で、取ってきたものですから、まずかろうはず がありません。

 それに、これで一人当たり4000円くらいですから、コストパフォーマンスもバッチリ。ただ、この辺の醤油は大変甘いので、辛口の醤油で食べたい方は、持参された方がよいかもしれません。

 遠く福岡市はおろか大阪あたりまでの人が食べに来るというのもうなずける話 。大満足の夕食を終えて、約束通り、ご主人の車で桟橋まで送っていただきまし た。

 桟橋では、横抱きで係留していた北九州市から来ていた「ファルコン」の方々 と愉しいヨット談義で盛り上がりました。

 明朝、荒れる玄界灘を航海することになりそうなので、ほどほどに切り上げて 、ヨットのキャビンで寝ることにしました。

長崎県平戸産の海産物等 
最高級のあご(とびうお)で有名な長崎県平戸産の焼きあご、平戸産 さよりの味醂干し、平戸名産アゴ(飛魚)等

 ○ 刺身の家 ひろさち

長崎県平戸市紐差町1079 場所はここ Googlemap
0950-28-2588
営業時間 不明
休業日   不明
駐車場   あり

* 念のため、電話してから行くようにしてください。

By  Jun

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