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2008.10.17

トルコ・イスタンブール旅行記 遂にアルパイ君と再会! 

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 2008年9月6日(土)

 無事午後8時頃、飛行機はイスタンブールのアタチュルク国際空港に着陸しました。思えば、1980年頃にイスタンブールに来てから、もう四半世紀になります。街の様子は変わっているのでしょうか?

 そんな感慨に耽る暇も無く、入国の手続きです。入管のブースは、トルコ人と外国人に別れていましたので、外国人用に並びました。しかし、アジア人や白人は少なく、大部分が中東やアフリカの人のようです。一種異様な感じもしました。その中にも、日本人らしきグループもチラホラ。

 割と簡単に入国手続きを終え、スーツケースも早めに出てきました。後は、税関なのでしょうが、それらしきも見えず、出口へ。

 アルパイ君とは、手荷物受取所の出口の所で、待っているからとメールで連絡していましたので、出口を出てキョロキョロすると、すぐにアルパイ君を確認できました。

 実は、アルパイ君は、最近の自分の写真を送ってくれていたのでした。長い間にすっかり変わってしまっていて、多分、会っても分からないだろうからとの事でした。

 その写真を見て、私も驚愕しました。25年前の面影は一切無く、これなら偶然同じテーブルに座っても絶対に分かりっこないだろうなと思いました。アルパイ君だけでなく、私も見る影も無く変わり果てています。私の写真はアルパイ君には送りませんでした。会ってからのお楽しみというメールは送りましたが。

 なお、次のスライドショーの1974年頃の写真は、今回、アルパイ君がイスタンブールに持参してくれたものです。貴重な写真で、私がカメラに記録したのをとても喜んでいました。最後から2枚目、パーティの写真が、福岡出発前、待ち合わせ用としてメールに添付してくれたものです。この写真を見て、私は本当に驚き、かつ年月の重さを思い知らされました。

次のスライドショーを再生すると音が出ます。

 

 お互いに握手をして25年ぶりの再会を喜び合いました。しかし、空港の前は気ぜわしく、ゆっくり話すこともできませんので、バスの方に移動することにしました。シャトルバスが、すぐ近くに停車していました。

Photo_2  スーツケースをバスの車体に入れてもらって、乗車。一番前の席に二人並んで座りました。やがてバスも発車。夜の道をバスは走っていきます。途中、古い城壁の横を通り、ローマ時代の水道橋をくぐったりしました。

 金角湾にかかる橋、ガラタ橋を渡りました。この橋は、前回イスタンブール訪問時にも行きましたので記憶がありました。アルパイ君に、「アジア側に来たね」と言いましたら、「いや、ここはまだヨーロッパ側」と返事がありました。

Sm_2  ガラタ橋を渡ってすぐに坂道のような所で、バスが停まりました。どうも、アルパイ君がバスの運転手にここで停まるように言ってくれたみたいでした。スーツケースをバスから取り出すと、アルパイ君はタクシーを止めようとしていました。ホテルはここから遠いのかと尋ねると、すぐそことのこと。

 「じゃ、歩いていこう」と私が言うと、スーツケースが重くないかと聞かれましたが、重くないと答えて歩くことに。 坂道を歩いていくと、急にアルパイ君が、改装中の建物を指差して、「これが、有名なペラ・パラスホテル、アガサ・クリスティーがオリエント急行殺人事件を執筆した所」と説明してくれました。 

Photo_3  私も、クリスティーがイスタンブールのホテルで書いたことを知っていましたので、ここがあの有名なホテルかと思いました。

 しばらく歩くと、今回のホテル、ホテル・インカに着きました。旧アメリカ領事館の前です。小さなホテルです。すぐにレセプションでチェックインしました。アルパイ君は、前日から宿泊していて202号室。私は、403号室です。

 部屋から部屋への内線電話のかけ方を聞くと、部屋から部屋への直通は無理で、レセプションにかけると相手の部屋につなぐとのこと。

 荷物を置いて、30分後に会おうと言うことになり、私は荷物をもって部屋へ行こうとして、エレベーターに向かいました。ところが、ここのエレベータのドアは、手動式で自分で開けなければなりません。イスタンブールのエレベータは、この方式が多いようです。

 待ち合わせの時間が、近づいたので、レセプションに電話しようとしますが、うんともすんとも言いません。電話の回線を調べてみるとものの見事に壁のコンセントから回線が切れています。しょうがないので、レセプションに降りて、アルパイ君の部屋に電話をかけると、部屋に上がってきてくれとのこと。

 アルパイ君の部屋に入ると、ベッドの横の椅子に載せたパソコンの操作中。横に座ると、いきなり、無事着いたことを日本の奥さんに電話しようということになり、自宅の電話番号を聞かれました。スカイプ(インターネットを使用する電話)に接続しているので、電話代は無料とのこと。なかなかつながりません。やっとつながっても、応答がありません。

 あとから良く考えてみると、イスタンブールの午後9時半ごろにかけたのですが、その時間は日本では夜中の4時頃。出るはずがありませんし、応答があったら大目玉をくらう所でした。

注意:次のビデオは音が出ます。

 夕食を食べようと言うことになり、ホテルを出て、イスティクラール通りに出ました。ここの通りは、後日、毎日、しょっちゅう歩くことになりました。

Sm_3  11時過ぎと言うのに、本当に人通りが多くて、混雑していました。アルパイ君は、建物のことをよく知っていて、これがギリシア領事館、こちらはアルメニア人の学校と言う風に説明してくれました。特に、古い建物は、アール・ヌーボーなどの様式も知識が深く感心しました。

 午前零時前に、アルパイ君お目当てのレストランに行きましたが、もう閉店するとのこと。しかし、開店は午前3時。と言うのも、丁度トルコは、断食の期間、ラマダンに入っていて変則的な営業時間になっていました。

 しょうがないので、ドネルケバブ、羊の肉等を回転する棒に巻きつけて焼く料理の店に行きました。ファーストフードのようなもので、ドネルケバブををパンに挟んだものを受け取り、2階に上がって食べました。

 食事後、イスティクラール通りの裏通り、ホテルの近くの通りを散歩しましたが、午前零時を過ぎても、通りの上の食堂やレストランは、人でいっぱい。テーブルの上で女性たちが踊ったり、通りでもあちこちで踊ったり、歌ったりの大騒ぎ。本当にイスタンブールはエネルギッシュな町です。

 ホテルのホンの近く、広場みたいな所にタクシーの運転手がたむろしていました。そこに1匹の犬がいました。アルパイ君は、あの犬は以前、弱っていたので、タクシーの運転手たちに面倒を見てもらえないかと頼んだと話し出しました。

 アルパイ君は、タクシーの運転手たちとも気さくに話したりしていましたが、当の犬はアルパイ君の顔も忘れたかのようにジッとしていました。なかなか心温まる話ではありませんか。

 そんなこんなで、午前1時頃にホテルに戻り、ベッドに入りました

ホテル・インカのホームページ http://www.inkahotel.com/

By Jun

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