« トルコ・イスタンブール旅行記 インカホテルとクラシックカー | トップページ | 華麗なる自転車ドリフトの世界 »

2008.10.26

トルコ・イスタンブール旅行記 ボスポラス海峡クルーズ

スポンサードリンク

 



このエントリーをはてなブックマークに追加


2008年9月7日(日)

 トルコ・イスタンブールの旅行記です。今回は、ボスポラス海峡クルーズ。

 世界一短い地下鉄に乗ってカラキョイの駅で降りました。ここから、トラムバイ(路面電車)に乗って出発。行き先は、ボスポラス海峡クルーズの出発港のエミノニュ。

Photo

 途中、ガラタ橋を渡りましたが、橋の上は釣り人でいっぱい。フィッシングを趣味とする者にとっては、興味津々でした。

 このクルージングは、アルパイ君の発案なので当時の私にはほとんど情報がありませんでした。

ビデオ ボスポラス海峡クルーズ (音が出ます)

 ちなみにボスポラス・クルーズとは、エミノニュの港から出て、ボスポラス海峡を北上し、主にヨーロッパサイド側沿いにいくつかの港に立ち寄り、アジアサイドのアナドル・カヴァウまで行くのですが、そこまで行くと帰りが大変なので、ヨーロッパサイドのどこかの港で下船して、陸上の交通機関でイスタンブール中心部に戻るのが一般的です。

 乗船前の船着場で、アルパイ君は、チョッと戸惑っていたフランス人の二人連れに親切に、帰りの交通機関のアドバイスをしていました。アルパイ君は、話好きで世話好きなので、すぐに誰にでも話しかけます。

 船に乗り込みました。どこかで見たような船だなと思っていると、アルパイ君の説明によるとこのタイプの船は、イギリスのリバプールで建造されたとのこと。そう言えば、香港にも同じようなタイプの連絡船が走り回っていますので、香港の船もリバプール製なのかもしれません。

 風景を楽しみながらクルージングしますので、アルパイ君はキャビンではなく、見晴らしの良いデッキに行こうとしましたが、デッキで座れる所は満杯。仕方が無いので、最後尾のデッキで立つことにしました。当然、ヨーロッパサイドを見ることができる、左側です。

 船は動き出しました。ガラタ橋の釣り人を見ながら。

 しかし、海から眺めるイスタンブールの街並みの美しさは圧倒的なものがありますね。この眺めは、絶対に高層建築などで邪魔されたくないと思いますが、時代の流れもあり、難しいところでしょう。

 エノミニュを出ると、巨大な客船が出迎えてくれます。イスタンブールは世界的にも有名な巨大クルーズ船が立ち寄り港で、当日も英国のセレブリティ社のギャラクシーが停泊していました。

 

 ビデオで、横から話しかけてくるオバサンは、ヨルダン人の方で、アルパイ君が私に説明してくれているのを、横から聞いていて、時折、チャチャを入れてくるのが、ビデオでも記録されています。

 次の見所は、ドルマバチェフ宮殿です。この宮殿の陸側は、殺風景な高い塀で囲まれていますが、海側は、ビデオでご覧の通り、白亜の綺麗な建物が楽しめます。実は、宮殿を訪れた各国の賓客も、ボートで海側に乗り付けていて、玄関は海側にあるのです。

ここは、初代大統領のアタチュルクの住居、そしてなくなった場所としても有名です。アタチュルクの話は、いずれしたいと思いますが、トルコ共和国の建国の父、アタチュルクは「トルコの父」の意味です。アルパイ君も、ここで彼が亡くなったと説明しています。

 ドルマバチェフ宮殿の後には、古いオスマン帝国時代のボート乗り場を見たりしました。やがて、ボスポラス海峡にかかる大橋、第一ボスポラス橋です。

その手前に、実に美しい小さなモスクがあります。名前をオルタキョイ・ジャーミイといいますが、内部もピンク色で彩られ、繊細な美しさで評判だそうです。

ボスポラス大橋は、日本政府の開発援助で、石川播磨や三菱重工により建設されたようです。

 建設当初には、イスタンブールの景観を損なうと言うことで反対意見も多かったようですが、パリのエッフェル塔と同様、今ではボスポラス海峡に無なくてはならない存在となっているようです。

 第二ボスポラス大橋を過ぎると、ヨーロッパサイドには豪華な大邸宅が延々と続くようになります。これらは、オスマン帝国時代の大商人や官僚が住んでいた地域で、ドルマバチェフ宮殿同様、海側が邸宅の玄関となっています。

アルパイ君の話もあるように、これ等の邸宅は、今では大金持ちの夏の別荘用となっており、千万ドル単位の価値があり、この地域がイスタンブールでも最上の住宅地と言うか、保養地と言うか、兎に角庶民には雲の上のようなものであります。

Kinkaku

 また、ビデオの途中で、私が、船の山越えの質問をしていますが、これは、1453年のコンスタンチノープル(旧イスタンブール)陥落の際、メフメット2世が取った奇策、トルコ艦隊の山越えの場所を聞いています。

Mfmed23  当時、東ローマ国側は、金角湾を鉄の鎖で封鎖していました。そこで、メフメット2世は、金角湾の北側の陸地(ジェノヴァ人居住区があったガラタの外側)に油を塗った木の道を造り、それを使って陸を越え70隻もの船を金角湾に移す作戦に出ました。「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれるこの奇策は成功し、コンスタンチノープル陥落の一助となった話です。

 コンスタンチノープルの陥落の様子は、塩野七生氏の「コンスタンチノープルの陥落」をご覧になるとよく分かる上に面白いと思います。

下の画像が、サラボナ号です。アタチュルク大統領のヨットですが、現在はトルコの金持ちの所有ですが、その富豪はイラクで誘拐されて行方不明だそうです。何かといわく付の人物のようです。

Savarona10

 次は、カンルジャのヨーグルトです。 Kanlica_yogurt_2

 ボスポラスクルーズでカンルジャに寄港すると、船内でヨーグルトを売り始めます。アルパイ君が、名物だからと買ってくれたのですが、普通のヨーグルトで格別に美味しいものではありません。

 通常は、粉砂糖をかけて食べるようですが、船の中でもあり粉砂糖はありませんでした。

 なお、右側の画像は、私が撮影したものではありません。参考として、掲載しております。

 また、スライドショーの中では、カルンジャと表記しておりますが、カンルジャが正しい地名です。

 クルージングの最後は、サルイェルで下船しました。もう少し行けるのですが、次の寄港地はアジア側で、帰りのバスが不便なのでここで船を下りました。

 船着場の職員と例によって、アルパイ君は話していたのですが、急にその職員が、今日はイスタンブールの広島、長崎のメモリアルデイと話してくれました。

 トルコは、大変に親日的ですが、さすがにこの話に私はビックリし、かつ感動してお礼を言いました。今回のボスポラスクルージングは、晴天にも恵まれて最高のクルージングとなりました。

トルコ・イスタンブール ボスポラスビューもできるホテル ランク順リスト 
ヒルトン (bosphorous View)。 リッツ・カールトン (サイド・ボスポラス・ビュー)。 他

海外旅行のホテル、航空券、パック旅行の空き検索や予約が簡単にできるシステム

イスタンブールをもっと知るための本 売れている順リスト 
「地球の歩き方(E 03(2010~2011年) イスタンブールとトルコの大地」。  「イスタンブール路地裏さんぽ」。 他


スポンサードリンク

|

« トルコ・イスタンブール旅行記 インカホテルとクラシックカー | トップページ | 華麗なる自転車ドリフトの世界 »

08 ’70年代英国ヨーロッパ一人旅行記 」カテゴリの記事

07 トルコ・イスタンブール」カテゴリの記事

コメント

catnapさん、今晩は。Junです。
はじめまして。
ボスポラスクルーズですが、イスタンブール観光のハイライトになるかと思います。
プライベートでの参加も可能だと思いますが、気をつけておきたいのは、帰りの足の確保です。
船で往復すればその心配は無いのですが、帰りの船の時間が丁度良いのがあるかです。
一般的には、陸路で帰るのが多いようです。それも、アジア側からではなくてヨーロッパ側。
バスにするのか、タクシーにするのかもあります。私の場合は、ご覧のようにトルコ人の友達がいましたからまかせっきりでした。
帰りの足の情報を取られてから、オプションにするのかプライベートにするか考えられたらと思います。
それと、船には早めに行って座席を確保することと、進行方向に向かって左側の方が、ヨーロッパ側の景色が良く見えると思います。
楽しいトルコ旅行を祈っております。

投稿: Jun | 2008.11.12 20:45

11/28からパックツアーでトルコに行きます。
ボスボラスクルーズはオプションがありますが、出来ればプライベートで行きたいと思っています。
こちらのHPを拝見させていただき、ますます船に乗りたくなりました。
見た感想でけでなく、建物とかの説明もあり参考にさせていただきます。

投稿: catnap | 2008.11.11 09:02

Ryuさん、お早うございます。Junです。
コメントの返信が遅れてすみません。山荘で食べ物屋さんの計画、素晴らしいですね。
ブログにも料理の話が出ていますし、早く実現されることを期待しています。
イスタンブールのトラムの電源地下ケーブルに携わっていらっしゃったんですか! イスタンブールでは、ボスポラス海峡にかかる大きな橋も日本企業の努力であったと聞きました。
日本の会社に対して、現地の方々も大変感謝していました。Ryuさんがイスタンブールに関係されてあったとは、これまた私にとっても大きな驚きと嬉しいことです。

投稿: Jun | 2008.11.02 09:25

今過去ログを拝見して戻ってきました。
行かれたんですね、懐かしい友人との再会も感動的だったことでしょう。日本や中国みたいなドラスティックな変貌は無かったようですね。ホテルも路地裏の盛り場もなつかしい雰囲気で若い頃を思い出したのではないでしょうか?長年の夢がかなって良かったですね!イスタンブルの路面電車の電源を供給している地下ケーブルは我輩が若かれしころ国際入札の一本釣りで見事落札して納入した物なんですよ!総額7億円ほどでした!船を何度もチャーターして、それも大分港から…。オイルショックで銅が高騰した時代でした。Junさんとはイスタンブルつながりでもあったのですね!楽しく読ませていただきました。

投稿: Ryu | 2008.10.29 22:51

おっとと!失礼、イスタンブルへ行かれたのですか?
今過去ログへ入って驚きました。えっ~、ホント?
遡ってから戻ってきます。

投稿: Ryu | 2008.10.29 22:08

お久しぶりです。
いつも精力的にblog更新されておりますね!70年代といえば約40年前、若かれし頃の想い出話や画像、編集されている最中はきっと40年前に戻られているのでしょうね!我輩は薄っすらと覚えている程度です。若い時の一人旅、それも海外、我輩も思い切っておれば良かったと今になって残念でなりません。残る人生大いにエンジョイと思っておりましたが株や外貨で大きな含み損が…。5年後を楽しみにそろそろ山荘で食べ物屋でも始めようと具体的に動き出しました。w
blogもやっと23万アクセス突破です。引き続き宜しくお願いいたします。

投稿: Ryu | 2008.10.29 21:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: トルコ・イスタンブール旅行記 ボスポラス海峡クルーズ:

« トルコ・イスタンブール旅行記 インカホテルとクラシックカー | トップページ | 華麗なる自転車ドリフトの世界 »