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2010.03.15

フェンスの向こうのアメリカ 1950年代の米軍板付基地、築城基地の動画発見

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 先日の記事で、「奈多利庵」を取り上げました。奈多と言えば、西戸崎・志賀島にドライブ行く時に通り過ぎる場所ですね。

 昔、むかし 西戸崎に米軍がいた時、この奈多あたりからアメリカの匂いを感じていました。

 今では、痕跡もほとんど見当たらなくなりましたが、雁ノ巣には「Brady Air Base」(空軍)と西戸崎には「Camp Hakata」(陸軍)がありました。今の福岡空港には、「Itazuke air Base」。

 これらの米軍施設は、1950年に朝鮮戦争が始まって、韓国に近いことから米軍の先端補給基地となっていたものです。

 1972年に基地は返還されましたが、それまで、西戸崎の街中は米兵相手の商店やバーなどがあり、日本ではないような光景が広がっていました。

 また、西戸崎から博多へ通じる道が通る奈多あたりでも、テールフィンを突っ張ったフルサイズのアメ車が道幅いっぱいに走っていたものです。

 私は、この風景が好きでした。この情景を歌にしたミュージシャンがいます。

 米軍基地のある横須賀に育ったロッカー、柳ジョージの曲です。

 「フェンスの向こうのアメリカ」

  石畳の坂を登れば海の見える丘に出た
   防波堤に当る波間に俺を呼ぶ声が聞こえた
   どんなに離れてもけして忘れなかったよ
  朽ち果てた俺の家と鉄のフェンス

  エリアワンの角を曲がれば お袋のいた店があった
  白いハローの子に追われて 逃げてきたPXから
  今はもう聞こえない お袋の下手なブルース

  俺には高すぎた、鉄のフェンス
  あばよの一言も無く 消え失せたあの頃
  帰りたい ホームタウンスイート ホームタウンスイート 

  省略

当該ビデオは事情のため削除しています。

 西戸崎にもフェンスがあり、フェンスの向こうはアメリカそのものでした。

 フェンスの向こうから出てくるツートン・カラーのアメリカ車。それは夢の光景でした。

 私が、’50年代~60年代のアメ車のフルサイズカーが好きなのも、この頃の経験の影響があります。

 その時代の日本人の生活には、車などはとんでもなく、冷蔵庫も洗濯機もやっと普及しはじめた時代です。

 このような記憶も風化が激しくなってきています。

ビデオ 1954年 米軍板付基地(当時の米軍人撮影)

 米軍が博多に駐留していたことすら知らない世代の時代となってきています。

 私は、福岡のグルメの歴史に興味がありますが、博多に駐留していた米軍の兵士が基地の外で何を食べていたのか。米軍相手のレストランや食堂にどのようなものがあったのか・・・

ビデオ 板付基地で少年期を過ごした米軍人の子供の想い出 注意 音が出ます

 この辺の情報は、ネット上にも少なく、いずれ調べてみたら面白いテーマになるかもしれません。 

Kilroy_28_173sm

 さて、今の福岡空港にあった板付ベース(基地)内に、「キルロイ」(Kilroy)と米兵から呼ばれていたマスコットがいました。「キルロイ」とは、ヨーロッパ戦線で米兵が架空の人として作り出した名前です。

 呼びにくい日本人の名前の代わりに「キルロイ」と名づけられた人がいました。後の「ロイヤル」の創業者江頭匡一氏です。ロイヤルと言う名称は、キルロイから派生したものと言われています。

ビデオ 1954年の米軍築城基地 注意:音が出ます

 この「キルロイ」は、基地内の見習いコックを経て、まず、機内食を手がけ、それから
レストランをはじめました。

 彼は、レストランのコンセプトをアメリカの中流家庭の生活に合わせました。

 それは、ベース内で見た夢のようなアメリカ人の生活への憧れだったのでしょう。

 このレストランは、同じようにアメリカの文化に強く引きつけられていた福博の人々に広く受け入れられ、後にロイヤルのファミリーレストランの展開につながっていきました。

 江頭氏もまた、「フェンスの向こうのアメリカ」に強い憧れを抱き続けた人だったのでしょう。

柳ジョージのCD,DVD等 売れている順リスト 
CD 「ゴールデン☆ベスト 柳ジョージ&レイニーウッド Bourbon Years」。 CD 「プレミアム・ベスト 柳ジョージ」。他

在日米軍をもっと理解するための本、書籍等 
「在日米軍最前線」。  「在日米軍最前線軍事列島日本」。 「情報公開法でとらえた在日米軍」。他

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17 .面白トピックス」カテゴリの記事

コメント

Junさん ヨシ坊

 投稿させていただいたお陰であれこれと思いだし、文字にすることができました。ありがとうございます。
 このやりとりを見て、当時の「お友達」などが気付いてくれたらなおよいのですが。
 またいつか機会がありましたらということで、失礼します。

投稿: ヨシ坊 | 2014.08.12 17:04

ヨシ坊さん、お早うございます。Junです。

おそらく半世紀以上も前のお話だと思いますが、子供の頃の冒険は懐かしいものですね。

軍の施設のフェンスの下に穴ができているのですから、今では考えられないことですが、当時はのんびりしていたかもしれませんね。

心温まる思い出話ありがとうございました。

投稿: Jun | 2014.08.12 09:27

Junさん ヨシ坊
先刻、よせばいいのになれない英単語?を使いましたが、やはり×ですね。
August,と書いたつもりがAusust,になっていました!

投稿: ヨシ坊 | 2014.08.11 10:28

          Monday,Ausust 11,2014.

Jun さん

 御無沙汰しています。ヨシ坊です。


思い出を一つ

Military Policemanにパス見せて,の話。

 毎朝の登校時は、基地ゲートの拳銃を腰にさしたMPさんに「パス」を見せて「本土」の小学校に通ったものです。MPさんは「ヘイ、ボーイ」等と言っていたような・・。小学1年生の自分はおそらく「にっこり笑って」そこを通ったのでしょう。「グッドモーニング」と言った記憶はありません。

で、続きの話です。
基地は、当然のことながら塀(a wall,a fence)に囲まれていましてgateを通らなければ外界の「本土」(ほとんど小学校ですが)に行けないのですが、小学1年生のある日、一か所だけ塀の下の土がなくなり、半円形の窪み/穴が出来ているところを「発見」しました。

 それはさほど大きいものではありませんでしたが、当時、1年生でも小柄だったヨシ坊は、なんとそこを「通過」できたのです!。

学校に行く訳ですから当然「ランドセルしょってる」訳ですが、まず、ランドセルをおろして穴から外界に出します。次に、身をかがめて手を伸ばし、頭を穴に突っ込んで。すると、見事に外の世界に這い出すことができました!

体格のいい子や上級生は通りませんが、ヨシ坊は大丈夫!

そこが近道だったのかどうかは記憶にありません。単なる「冒険」だったのかもしれませんね。そのうちみつかってしまったかどうかも記憶にはありません。

思いで話でした。ではまたいつか。

投稿: ヨシ坊 | 2014.08.11 10:03

よし坊さん、お早うございます。Junです。

「RECIPES:DEPARTMENTS OF THE ARMY AND THE AIR FORCED/NOVEMBER 1950」は、軍の資料ですので、アマゾン等で売っているはずありませんね。

探すとしたら、アメリカのオークションサイトでしょうが、出品されている可能性は低いでしょうね。

アメリカの食べ物は、日本より劣るという話ですが、旅行者が受ける印象はそうかもしれません。

しかし、仰るようにそう単純なものではなく、アメリカの市民が旅行者と同じようにまずいものを食べているかというそうでもないと思います。

私は、昨年英国・アイルランド旅行をしましたが、旅行者ではなく、土地の人が食べるレストラン等はけっこう美味しくいただけました。

また、アメリカ製品もけっこう優れものが多く、現在では私は、iPhoneを使用していますし、懐中電灯のマグライト、JBLのスピーカー等を使っています。

SONYでさえもGO-PROを作り出せませんでしたね。

また、テレビにしても日本の地上波の体たらくに愛想を尽かして、CSでアメリカン・アイドルなどの番組、ビデオでは刑事コロンボなどを専ら見ています。

昔も、今もアメリカ文化から離れられない日々です。

投稿: Jun | 2014.08.05 09:02

Junさん

       ヨシ坊/山口市在住

紹介しましたREDIPES は、アメリカの陸・空軍省がワシントンの印刷局のようなところでつくったもののようです。
チラシのことを書きましたが、本文を少し紹介させていただきます。

"CONTENTS"として、SECTION1.INTRODUCTIONから始まり、Ⅱ.BEVERAGES(”飲料”で、No.A-1.COFFEE~NO.A-19.TEA PUNCHまで)からXXⅡ.TROPICAL FRUIES AND VEGETABLESまで並んでいます。recipesは、それぞれ100人分を基準に材料ごとの量を示した上で、具体的な調理法を詳細に記しています。要するに、調理人用のマニュアルというものですね。

近頃、あちこちと海外旅行を繰り返している知人がアメリカに二度程行き、やっぱり食事は日本が一番だと語っていましたが、彼は「アメリカの食事は料理とは言えない。ただ切って並べるだけ、焼くだけだ」と言っていました。

確かに、その印象はまったくの見当外れではないかもしれませんが、今、1950年の米軍用のレシピを見ますと、ことはそれほど単純ではないような気もします。

父親の仕事の関係もあり、まだ幼かった小生は「ケーキ」「菓子パン」をよく食べていたものですが、その当時の基地内の菓子パンは、ワンちゃんやウサギさん等を模して、耳もあり、目もあるようなものなど、随分後の日本に登場したような楽しいものもたくさんありました。

また、料理とは別の話ですが、母が春日原時代に使っていたアイロンは、その後長い間、それに匹敵するような日本製アイロンにお目にかかったことがないほど「出来のいいもの」だった記憶もあります。シンプルなデザインもあわせて、最大の違いはその軽さだったでしょうか。

かつて、日本では”自家用車”を持っている人が稀だった頃(1960年代前半あたりでしょうか)に「アメリカでは、金持ちは汽車で、“貧乏人”は車で旅行する」という話を聞いた時は、正直驚いたものです。確かに、近所の人が小さな車(おそらくマツダキャロル、マツダクーペあたりでしょうが)を購入した時には、御近所総出で車を囲んでポーズをとって「記念撮影」をしたり、「ハイヤー」で帰宅する人を見ると、やはりご近所は羨望の眼差しを向けたりしていたような記憶もあります。

ともあれ、「終戦直後」の米軍基地での生活という、日本人としては「少数派?」に属する体験をしたことは、今でもなにがしかの影響を与えているのだと思います。
今回、このブログ、さらには当時の映像まで見ることができ、大変うれしく思っています。

話は変わりますが、アメリカという国が、かつて世界一の「超大国」であったことは間違いないと思いまし、日本も様々な刺激・影響を受けてきたと思います。一方で、「自由の国アメリカ」の負の側面、日本に与えてきたマイナス面等についても、あらためて考えることが必要な時代に来ているのではないかと感じます。

なお、ハリウッドならではの映画の魅力(年代的に、何といっても西部劇・史劇から入りましたが)はかつても今も離れることができないものですが、近頃はTVの韓流ドラマにつかりきっています。確かに、日本のTVは探せば時々いいものもありますが、総じてNot interesting,ですね。

思わず、あれこれと書き連ねてしまいました。
では、また機会がありましたら。

投稿: よし坊 | 2014.08.04 11:11

ヨシ坊さんお早うございます。Junです。
コメントいただきありがとうございます。

春日原ベース内の日本人宿舎にお住いでしたか。
私には、それこそ「フェンスの向こうのアメリカ」でした。

教えていただいた「RECIPES:DEPARTMENTS OF THE ARMY AND THE AIR FORCED/NOVEMBER 1950」をアマゾンで検索しましたが、やはりありませんでした。

当時の駐留米軍の兵士や家族たちの生活をうかがい知る貴重な資料ですね。

興味深い情報、誠にありがとうございました。

投稿: Jun | 2014.08.04 07:27

下関生まれですが、春日原基地で小学校1年生まで過ごした、「ヨシ坊」です。
ビデオ 板付基地で少年期を過ごした米軍人の子供の想い出ITAZUKE JAPAN 1952-1953
を「発見」して、驚きすぐに見ました。ITAZUKE,とありますが、どうみてもベースキャンプ内のようです。米軍の子供たちと遊んだ記憶はありませんが、なにやら懐かしさを覚える映像に見入りました。
 以下、先ほど他のブログ「“1955年頃の板付基地”パンフレット」に投稿したものとかなりダブりますが。

小生、すでに他界した父親が朝鮮戦争勃発半年前から春日原ベースキャンプ内のレストランで駐留軍従業員としてコックをしていたため、1歳から小学校1年生までの6年間、ベースキャンプ内の日本人宿舎にいました。毎朝、おそらくNORTH GATEと思いますが、MPさんにパスを見せて基地の西にある春日東小学校に通学していました。確か木造二階建ての日本人従業員宿舎の一角に住み、基地内には、広い「原っぱ」とその先に「林」があったような記憶もあります。
父親が残した写真の中には、日本の常識では考えられないほど大きなデコレーションケーキを前に、外国人を含むコック数人とともに、得意げにポーズをとっているものなどもあります。
これも父親が残したものですが、当時の米兵用の「RECIPES:DEPARTMENTS OF THE ARMY AND THE AIR FORCED/NOVEMBER 1950」という500頁にも及ぶ書籍があります。そこには、「6(&7), Oct 1955」のタイピングされたMENU(Breakfast,Dinner,Supper)が2枚、挟み込んでありました。Dinnerのところを見てみますと、「スープ・前菜・メイン・デザート・Coffee」と並んでいます。
1950年と言えば、敗戦後の日本人が「朝鮮戦争特需」を前に、戦後の食糧難をはじめとする混乱から、なんとか抜け出そうとしている時期だったのだろうと思いますが、「駐留(米)軍基地内」はまさしく「別世界」だったということでしょうか。
ともあれ、今思えば「1953年7月27日の朝鮮戦争休戦」のためでしょうか、おそらく父親が「解雇」されたのでしょう、基地内を去ってからすでに半世紀以上経ちました。

投稿: ヨシ坊 | 2014.08.03 20:03

Ryuさん、お早うございます。Junです。
アメリカが世界の最先端を走っているのは間違いないところだと思います。
日本もかなり追いついていたのですが、最近は、また離されていっているの様な気がします。
特に、このごろ感じるのは、身近な例では、TV。
アメリカのテレビ番組を日常的に見ているわけではないのですが、CSやBSで見る限りアメリカの番組のほうが魅力的です。
それに比べて、日本のTV。NHK以外は、最近では見る気もしません。特に、午後7時から10時までのゴールデン。
昨夜は、各局3時間延長のスペシャルばっかり。
落ちる所まで落ちています。

投稿: Jun | 2010.03.18 06:32

お久しぶりです。
相変わらず徹底した取材ぶりには関心です。少し世代が違いますが、やっぱり子供のころは知らず知らずのうちにアメリカを見ていた様な気がします。Look American、これで日本の戦後復興が加速、後の高度成長を成し遂げる事が出来たと思います。コーラ、ホットドッグ、ハンバーガー、ジーンズ、スニーカー、懐かしいアイテムが浮かび上がってきます。今でもアメリカって最先端を走っているような…?

投稿: Ryu | 2010.03.15 16:50

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